12/1/2018(盛岡)ある知人に紹介していただき、伝説のシェフを訪ねました。私ひとりのために店を開いて下さり、暖炉に火が入れられ、フルコースが綴られた手書きのメニューが用意されていました。なんという温かさでしょう。シェフの精神や生きざまが存分に表れており、これほどまでに心が満たされた晩餐は人生で初めてのこと。どの音楽よりも音楽的な料理が続きましたが、これは美しい人生の歩みが生み出し得るものに他なりません。深く感動いたしました。2週間後に再訪します。
4/1/2018(神戸)バッカスはネプチューンよりも多くのものを溺死させた。そんなローマの諺が当てはまるような酒豪ではなく、グラスを揺らしながら楽譜の山に埋もれている新年ですが、ワインと音の豊饒な香りで豊かな時間を過ごすことができました。明日から始動です。
2/1/2018(神戸)除夜の鐘を聞くこともなく、元日の朝になって年越し蕎麦を食べたほどですが、年末年始は私にとってパラダイスの時間。長年変わらないグッズをテーブルに並べて、音楽も聴かずに黙々と製本作業を続けます。パリ留学時代は主にフルートの伴奏を稼業にしていましたし、帰国してからはオペラ好きが高じて、北海道二期会の伴奏をずいぶんさせていただきました。蒐集癖ともいえる楽譜の発掘も止まらず、未製本のコピー譜はダンボール2箱分(数百曲分)。製本という儀式を通して、ピアノ部屋の棚に並べていくのが至福です。また弾いてみたい作品もあれば、一生弾かないだろう作品もありますが、どれも愛しい楽譜であることにはちがいなく、私の中では相互に関わり合っているものばかりなのです。近年はピティナ・ピアノ曲事典の公開録音という「ひょっとして私のためにある?」という企画に積極的に携わらせてもらい、私だけのパラダイスで終わっていたものが一曲ずつ日の目を見るようになりました。そのための時間はいくらでも惜しくない。今年も多くの音楽を奏でられる機会と同志に恵まれますように。
27/11/2017(神戸)世界にあと何本残っているのだろう。そう思って大事にしまい込んでいると飲み頃を逸してしまうこともあり、オープナーに手をかけるのに勇気がいります。人間の欲望というのは歯止めのないもので、愚かしく感じられながらも、豊穣の香りが広がるのを認められた時、天にも舞い昇るような心地になるのです。カラヤンが指揮をする『マタイ受難曲』では黒田恭一氏のライナーノーツ(LP)が添えられており、『トリスタンとイゾルデ』と並べることで欲望の原形を明らかにしようと試みておられます。ワインはキリストの血。それが香り高く、無上の喜びに感じられるほど、バッハの音楽が切実に聴こえてきます。バッハもワイン好きだったという言い伝えは、私たちにとって救いかもしれません。
18/10/2017(神戸)われらがK料理長が足繁く通われている王子公園のカラピンチャ。いつもは指をくわえて投稿を眺めているだけでしたが、本日ようやく仲間入り。
14/9/2017(東京)夜はボルダリング。身体の極限でパズルを解いていくような、過酷なスポーツです。
9/9/2017(大阪)夫婦で所属している関西ハンガリー交流協会が主催する食事会に参加しました。数日前にハンガリーから帰ったばかりで、2週間後には再びハンガリーを訪れますが、マンガリッツァ豚のプロモーションも兼ねたフルコースは絶品でした。テレビ出演を控えているので、ダイエットをしなければならないと戒めながらも…。気心の知れた友人たちを誘いましたが、彼らも舌鼓を打ちながらハンガリー料理を楽しんでいました。すばらしい企画をありがとうございました。
http://kansai-hungary.org
20/6/2017(富山)パリ・モンパルナス駅の周辺にクレペリーが多いのは、ブルターニュ地方からの電車が入ってくるからだと聞いたことがあります。フランスでは蕎麦粉のクレープが一般的で、小麦が育ちにくい荒涼としたブルターニュ地方ならではのスペシャリテ。そんなブルターニュ地方には一度だけ訪ねたことがあり、1日に100個の牡蠣を食べたという文豪バルザックに思いを寄せながら、大西洋に面する港町で牡蠣をこじ開けたのはよい思い出です。塩の名産ゲランドにはヒッチハイクしながらたどり着きましたが、塩田博物館で見たジュンサイが当地のクレープに入っていたのには驚きました。「ブルターニュの黄金の声」と賞賛されているヤン・ファンシュ・ケメネール氏とはひょんな事で知り合い、それ以降、私の人生に大きな刺激を与える人の縁を紡いでくれました。ブルターニュ地方のビールを空け、今宵はこうして大親友とカンペールの陶器に囲まれて、フランス留学時代の色とりどりの思い出に浸ることができました。