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Berlin Philharmonic with Kirill Petrenko at Lucerne Festival

30/8/2018(Luzern)
キリル・ペトレンコが彗星のごとく現れ、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団を継ぐことになり、『法悦の詩』の映像が世に出た時、私はこの人をわが伝道師と決めました。亡き師がいつも「生まれたての雛のような感触を失わない演奏」を説いていたとおり、彼の導く音はどれも最も鮮やかな瞬間を描き、その線は空間に感触を生み出し、舞台上で奇蹟を創
Edit造します。デュカスの『ラ・ペリ』とシュミットの交響曲第4番はいずれもポスト・ワーグナーらしい作品ですが、こうした観念的な音楽ですら、彼が空中に手を差し伸べると、なんらかの現象になるのです。そして彼の生地であるシベリアに沈むあるいは昇る太陽のような圧倒的な拡がり、寡黙にして雄大、荘厳にして神秘的。ここにユジャ・ワンのピアノ独奏が加わったプロコフィエフのピアノ協奏曲第3番は、今年4月にベルリン・フィルハーモニーで演奏された時の映像よりもさらに速く、さらにアイデアに富み、さらに精緻な演奏。アンコールは作品11の『トッカータ』。現代の2つの神話が重なり合った時、音楽はビックバンへと至りました。
https://www.digitalconcerthall.com/ja/concert/51178

 
 
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Cavalleria Rusticana & Pagliacci: Hungarian State Opera with Marco Comin

1/4/2018(Budapest)
ブダペストに戻り、エルケル劇場で『カヴァレリア・ルスティカーナ』『道化師』を観劇。いつもなら使わない裏道で往路を急いだため、鬱蒼とした夕暮れ時の移民街は危険な空気が立ち込めており、道すがら殺気立った視線を四方から受けました。これらのオペラでも下層社会の陋巷が舞台となっており、一触即発の暴力と殺人が渦巻きます。ヴェリズモという言葉は決して様式ではありません。『カヴァレリア・ルスティカーナ』は言わずと知れたマスカーニの名作で、フランシス・フォード・コッポラ監督による『ゴッドファーザー PART III』の終盤ではこのオペラが劇中劇として使われます。モノクロームな画面で2つの悲劇が同時に進みます。一幕物だからこそのドラマトゥルギーに強い衝撃を受けたレオンカヴァッロは、『道化師』で喜劇を一瞬にして悲劇にしてみせます。しかも劇中劇として描かれる殺人です。己の復讐を別の復讐心を煽ることで成し遂げ、うすら笑みを浮かべながら「コメディはこれで終わりです」と語りかけるカーニオ(道化師)に、向かおうとする時代の暗さや人間の闇の本質が表れています。そこに音楽が深い彫りを持って、私たちに迫ってきます。ナポリもそうですが、シチリア島に溢れる太陽の光は、深く奥知れない闇を生み出します。ゲーテが『イタリア紀行』の中で書いたシチリアの描写は、とりわけ印象的なものです。

 
 
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Frühling in Wien

31/3/2018(Wien)
ウィーン楽友協会の黄金ホールでは、Balkon Logen Rechts(2階右バルコニー席)かParterre Logen Links(1階左ボックス席)と決めています。これは私のこだわり。今日は幸いなことにステージ上の第1ヴァイオリンの後方席が取れたので、指揮者の表情を真横から見ることができました。子供の頃からずっと親しんでいたアダム・フィッシャーはすっかり可愛いお爺さんになっていましたが、指揮台の上でもステージ裏でも茶目っ気たっぷりで、子供のようにはしゃいでいました。ハンガリー節全開の指揮に、ウィーン交響楽団は洗練された対応を見せていました。帝都で磨かれた音質は、ブダペストで聴くものとは根本的に異なります。だからこそ「ウィーンの春」。第1部で登場したハンガリー出身のヤーノシュカ・アンサンブルはニュースタイルの四重奏で、ヨーロッパに疾風怒濤の嵐を巻き起こしている新鋭。チャルダーシュを基本とした東欧各国のニュアンスを巧みに織り交ぜながら、クラシック、ジャズ、タンゴ、ルンバと変幻自在で無敵の強さを誇ります。裸足のパトリツィア・コパチンスカヤの出現も含め、音楽のモードは21世紀に入ってから急速に変化しています。これは国際コンクールの現場にも言えることです。時代が急激に変化しているのだから、音楽の在り方が変容するのは当たり前のことです。クラシック音楽のような再現芸術でさえモードがあります。ヨーロッパの風は過去から未来に吹いています。音楽と共に時代を見つめ、時代と共に音楽を追い求める。演奏家の人生に万歳!
https://www.musikverein.at/konzert/eventid/32684

 
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Vietnamese Water Puppetry in Hanoi

23/2/2018(Hanoi)
湖に棲む亀から授かった宝剣で明軍を駆逐して、ベトナムを中国支配から解放したのがレ・ロイ(=レ・タイ・トー)。ここに黎朝が始まりベトナムに平和が訪れた頃、再び現れた亀に剣を返したという伝説が今日まで語り継がれています。その場所がホアンキエム(還剣を意味する)湖に浮かぶ小島。水上人形劇(Múa rối nước)では伝統楽器の軽やかな音色と共に、ベトナムに伝わる民話や習慣、農民の生活、そして建国の伝説が語られます。水中で操られるからこそ、人形の動きは繊細かつコミカルで、生き生きとした人間模様が描かれます。ベトナムの文化は農民や子供を大事にしています。人間の幸福が画面いっぱいに溢れる人形劇や絵画に触れることができ、ベトナム文化に大きく共感する機会となりました。今回はロータス水上人形劇場とタンロン水上人形劇場を訪ねました。

 
 
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Liszt Memorial Museum in Budapest

30/9/2017(Budapest)
ハンガリアン・ピアノ三重奏団を知っているならば、HUNGAROTONレーベルを熟知している人に違いありません。大時代的なロマン派を踏襲するオールドスクールの演奏は、今では聞きなじみのないものかもしれませんが、演奏の内に要請されるものは時代によって随分異なるので、古今東西の演奏を知っておくことは大切です。トリオの終演後はリスト記念博物館に立ち寄り、イタリア滞在中のリストに焦点を当てた展示を見学しました。リストが生きていた頃はどのような演奏が流行だったのか、そして彼の演奏流儀はどういったものだったのか。ここに集められた資料は多くのことを物語っています。
http://www.lisztmuseum.hu/en/

 
 
 
 
 
 
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Elena Bashkirova & Michael Barenboim & Julian Steckel at Lucerne Festival

26/8/2017(Luzern)
いつものKKL(Kultur- und Kongresszentrum Luzern)ではなく、今日はルカ教会でフェスティバルの公演を聴きました。ブラームスのピアノ三重奏曲を全3曲。猛暑で会場は蒸し風呂のようになり、弾き始めの1頁目からハンカチで汗を拭っていたエレナ・バシキロヴァ(ピアノ)。天才の家系を継ぐミヒャエル・バレンボイム(ヴァイオリン)、天賦の技巧で音楽を主導するジュリアン・ステッケル(チェロ)。ハ短調の第3番がハ長調に転じて、そのまま第2番へと流れると、ブラームスの生涯を遡っているようなチクルスが現れ、それだけでロマン派の息吹を感じることができました。圧巻の第1番は迸る若さと円熟が交錯して、感情が渦を巻きながら熱を帯びてきます。第3楽章からフィナーレへと入る瞬間は交響曲の感動と重なり、ひるむことなく向かっていく渾身のアプローチはロマン派のあるべき姿を体現していたように受け取りました。トリオは作曲家の人生を描く一つの編成であると同時に、近代以降の西洋音楽にとっての系譜でもあります。それを演奏するということは、私たちの誇りであり使命なのだと強く思い知らされた公演でした。
https://www.lucernefestival.ch/en/program/elena-bashkirova-michael-barenboim-julian-steckel/458

 
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Il ritorno d'Ulisse in patria: Monteverdi Choir & English Baroque Soloists with Sir John Eliot Gardiner

25/8/2017(Luzern)
ルツェルン夏の音楽祭にモンテヴェルディ合唱団&イングリッシュ・バロック・ソロイスツが登場。サー・ジョン・エリオット・ガーディナーが指揮するモンテヴェルディの『ウリッセの帰還』。
https://www.lucernefestival.ch/
http://www.monteverdi.co.uk/

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Filarmonica della Scala with Riccardo Chailly at Lucerne Festival

24/8/2017(Luzern)
ルツェルン夏の音楽祭はヨーロッパ音楽の精華を聴くことができる1ヶ月。今宵はリッカルド・シャイー指揮、フィラモニカ・デッラ・スカラ。ブラームスのヴァイオリン協奏曲を弾いたレオニダス・カヴァコスは、澄んだ音色で格調の高さを失わない一方で、極めてコントラストの効いたテンポ感でオーケストラを統率しました。往時のパガニーニを彷彿とさせる風貌のままに、超絶技巧で魅了するカリスマを持っているカヴァコスですが、この協奏曲のフィナーレで見せたアプローチは「21世紀のヨーゼフ・ヨアヒム」とも言うべきものでした。そのことはイェネー・フバイ一門の演奏を聴くことで明らかでしょう。後半のレスピーギは、シャイーの独壇場でした。彼らの『ローマの噴水』『ローマの松』からは、幾十ものイタリア映画で描かれてきた情景が鮮やかに呼び起されました。レスピーギの交響詩はローマの一日を描きましたが、6時のローマはまだ闇に包まれ、地上の真実を覆い隠すヴェールなのです。そこから静かに現れる上昇音階は、まるでクイリナーレの丘へと続く坂道。紀元前1200年頃に始まるクイリナーレの丘を想い起こすと、音楽そのものが歴史の語り部のように感じられ、眺望絶佳の丘からテヴェレ川向こうに見える夜明け前のサンタンジェロ城は、さながら『トスカ』の第3幕を彷彿とさせるものです。チューブラーベルはローマに響く鐘そのもの。トスカがそうであったように、ローマの運命も、幾度となく鐘によって示されてきました。ローマは時代ごとに黄昏を経験します。ローマ全体を茜色に染める夕暮れは、大気を最も豊饒なものにしますが、この瞬間にこそ私たちはローマの大叙事詩を感じることができるのです。レスピーギがこの暁に冠した音楽は、ローマ中の空気に浸透して、無言の感動に包まれます。これはイタリア人の職業芸術家の仕事です。古のケントゥリア(百人隊長)を配したような大管弦楽をもって、壮大な絵巻物語を書き上げたレスピーギの手練手管を、シャイーは誇り高きイタリア人の心で描き上げたのです。
https://www.lucernefestival.ch/
http://www.filarmonica.it

 
 
 
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Giacometti at Kunsthaus Zürich

24/8/2017(Zürich)
チューリッヒ美術館のある一区画は、ジャコメッティの森になっていました。彼の彫刻は天空の城ラピュタを歩くロボット兵を想わせ、不思議な静けさを湛えています。その静謐さは彼自身の眼の表情だったのかもしれません。様々な主題を多彩な方法で描いた絵画でさえ、ある種の静寂で統一されており、彼の作品に囲まれていると何か優しさのようなものを感じます。この美術館には20世紀の傑作群が並び、それぞれの作家の刺々しいまでの感性が放たれているので、ジャコメッティがかえって異色にさえ見えてくるのです。中世絵画については浅学菲才ゆえ、家内のレクチャーを受けながらの鑑賞。
http://www.kunsthaus.ch

 
 
 
 
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KBSSO with Joel Levi at Seoul Arts Center

29/6/2017(Seoul)
2014年からヨエル・レヴィが首席指揮者を務めるKBS交響楽団。ピアノ独奏はファジル・サイ。伝統の住人ではないサイによる奔放なモーツァルト(ピアノ協奏曲第23番)と、まさに屹立する伝統ともいえるブルックナー(交響曲第7番)の二本立て。この胎内にいるような至福をなんとかピアノで表現することができないだろうか。おそらく私の音楽的目標は、ブルックナーとマーラーの交響曲をピアノ独奏で完結させることにあるのだと思っています。緻密に張り巡らされた音の糸を10本の指の中に手繰り寄せ、いつか必ず全曲収録したい。
http://www.sac.or.kr/eng/program/view.jsp?seq=29129&s_date=2017321

 
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Yukine Kuroki & Eroika Wind Quintet at Marunouchi Area Concert

4/5/2017(東京)
仕事の合間にエリアコンサートを聴くことができました。お目当てはプーランクの六重奏曲。「それは天性で弾くものよ」とはパリ時代の師の言葉で、たしかに教えられてできるような曲ではありません。立ち見は15年ぶりながら、黒木雪音さんなのでその甲斐もあります。さらに奔放に進化されて、ダントツに面白いピアニスト!

 
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Foujita at Akita Museum of Art

23/4/2017(秋田)
秋田県立美術館は藤田嗣治と平野政吉による「想い」の殿堂といえるでしょう。新美術館から旧美術館を眺めていると、ランスのフジタ礼拝堂と同じ採光を求め、正倉院を模した高床式の建物内(現在閉鎖中)に、まだ二人がいるような気配を感じます。今日ようやく『秋田の行事』を観ることができましたが、これは平野の依頼で、美術館とセットで構想された世界最大級(縦3.65m、横20.5m)の壁画です。パリ時代の乳白色の地肌、モノトーン調の画風から、中南米での2年間の旅行を経た色彩表現、といったフジタを形成するあらゆる要素が盛り込まれ、秋田の風俗や暮らしがヴィヴィッドに表されています。フランスに帰化したキリスト教者フジタが、帰国後は戦争画家として従軍するなど、その領域横断的な多層性ゆえに様々な評価が与えられていますが、エコール・ド・パリの時代を生きた極東人としての藤田は、混迷を深める国際情勢の渦の中で、これからの私たちがどのように生きていくべきかを教えてくれているのかもしれません。
http://www.akita-museum-of-art.jp

 
 
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R.I.P. Kocsis Zoltán

〔コチシュの訃報〕

ブダペストに住んでいた頃、ブダペスト2区の小高い丘に建つコチシュの自宅で演奏を聴いてもらった。2台のスタインウェイのフルコンサートサイズが部屋の中央で勾玉のように組まれ、書棚が楕円状に囲う空間は、まるで映画のワンセットだった。彼は「先生ではなく観客だ」と言い張っていたので、私も彼のことを先生と呼ばないように努めたが、彼のレッスンは数時間に及ぼうが、私の持っている楽譜をすべて「完璧に」弾いてみせ、あるいは初見で音楽の全容をつかんでみせた。私に何かを助言することはなかった。ただ私が弾いた後に、部分的に弾いてみせるだけだった。しかしそれだけで、楽曲の構造は言うまでもなく、演奏技術の構造までもが明らかになって見えたのだ。

私は今回の本を書くのにあたって、日記を数十冊にわたって読み返した。2006年から2年間は、コチシュのレッスンでの詳細はもちろん、彼の表情やジェスチャー、聴きに行ったリサイタルや彼にまつわるニュースまで、びっしりと書き留めてあった。断片的な記録をつなぎ合わせて回想すると、芸術家としての偉大さと同じくらい、気難しいがユーモラスで、チャーミングなコチシュの人間性が現れてくる。

彼はドビュッシーの歌曲を棚から取り出し、「オーケストラのために編曲したいが、お前なら何の楽器を当てるか」という質問をした。アルトサックスで答えが一致した後、彼は管弦楽用に編曲したばかりのフルスコア(リストのマイナー作品)を私に手渡し、玄関口でクリスマスの飾りつけをしていた彼の息子と一緒に見送った。次のレッスンを約束せずに帰ったので、それが彼と話した最後となった。

それから10年が経ち、今朝私のもとにもコチシュ・ゾルターンの訃報が届いた。死の知らせはいつも突然やって来る。ハンガリー国民の悲しみの大きさを考える。彼らの喪失感を埋める言葉はどこにも見当たらない。

.07 2016 諸藝雑記 comment(-) trackback(-)

Gemma Bertagnolli & Tomoko Okada at Nikkei Hall

1/9/2016(東京)
「ジェンマ、あなたには一体いくつの声があるの?」と問いたくなるほど、ベルタニョッリは完璧なまでの発声と技巧の限りを尽くして、それぞれの作品の主人公になりきっていました。モーツァルトの『すみれ』を最初に持ってくるあたりで、実力の程はおよそ察しがつきますが、ヘンデルのアリアやR.シュトラウスの歌曲は、もはや常人の手の届かない世界での出来事に思われました。同じ表現者として羨ましくもあり、こっぱ微塵に打ち砕かれた感も否めません。

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SPO with Eliahu Inbal at Seoul Arts Center

24/8/2016(SEOUL)
ソウル・フィルハーモニー管弦楽団との確執が伝えられているチョン・ミュンフンの姿は、いつもの指揮台にはいませんでした。チョンのようなストイックな音楽作りと真逆の、エリアフ・インバルが急遽代役となり、ユジャ・ワンの代わりにオルガ・カーンがピアニストに迎えられました。彼女がソリストを務めた『パガニーニの主題による狂詩曲』は、『コレルリの主題による変奏曲』とのシンクロ二シティを意識させる演奏で、ラフマニノフのテクスチャの巧みさを浮き彫りにするピアニズムを存分に発揮しました。しかし一時期のエフゲニー・キーシンがそうだったように、ピアノを弾くことが上手すぎるゆえに、作品の内部に到達できないという皮肉な結果を引き起こすことがあります。前世紀の大時代的な音楽作りはもはやトレンドではなく、ハイブリッドな感覚を有した演奏が主流なのかもしれません。最近の国際コンクールでも似たような傾向を感じていますが、まだ私自身はその潮流に乗り切れていません。感動の所在がどこにあるのかは、時代によって異なるかもしれませんし、感動の質自体の変化も否めません。私にとってはむしろ、大雑把に見えるインバルがブラームスの交響曲第2番で見せた熟練技に大きな歓喜を覚え、音楽の持つ生命力に深く共感することができました。

 
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YNSO with Sylvain Cambreling at Suntory Hall

29/6/2016(東京)
ハープが柔らかなアルペッジョを奏で始めると、「私はこの世に忘れられ」(リュッケルトの詩による5つの歌曲)がゆっくりと姿を現します。ハープは天上で響く楽器ですから、ヘ長調の美しいトニックで一音ずつ下降してくると、天蓋から細い光が差し込んでくるような崇高さと幸福感で胸がいっぱいになります。第4楽章はマーラーの交響曲第5番における奇跡的瞬間。神秘の泉で水をすくうかのように、どの一音も聞き逃したくはない。そう思いながらピアノ独奏編を収録した(https://youtu.be/gt8lYyp2BOQ)ことがありますが、音楽で永遠を感じることができるとしたら、アダージェットというテンポがまさにそれです。私にとってのマーラーは(ニーチェ的にいえば)ディオニュソス的なるものなので、今宵のシルヴァン・カンブルランの指揮は驚くほど淡麗なアプローチに感じられ、音が粘らない分だけ拍感は前進的で、アンサンブルの精度を保つのが大変だったように見受けられました。それでも68分はあっという間に過ぎ、マーラーの宇宙観を描くには短すぎる時間なのです。

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Lecture by Ton Koopman at MUZA Kawasaki Symphony Hall

28/6/2016(川崎)
「バロック時代の靴に足を入れてみること」というトン・コープマンの言葉は、音楽学者ではない演奏家としての肉声であり、その力強いメッセージを直接聞けたことは豊かな糧でした。小学生のある一時期だけ、ピアノを離れてチェンバリストに師事したことがあるのですが、「なぜグレン・グールドなのか」という問いに対するバロック側の回答が(やや逆説的にも)コープマンの演奏でした。チェンバロで弾かれる装飾の自由に心を奪われ、様式の内に同居する即興性からバロックの愉しさを教えてもらいました。『トン・コープマンのバロック音楽講義』はセミナーでも時々紹介するテキストですが、今日対談された鈴木雅明氏が留学中に使われていたというオランダ語版を持参されており、些細と思われるようなこともこだわるほどにバッハの人物像や音楽観が現れてきて、どのようなエネルギーが作品に注がれたのかを感じ取ることができると力説されました。そして「演奏は人に属するもの」という言葉はコープマンと異口同音に響き、バッハに近づこうとする偉大な演奏家の姿を見せていただきました。全ての音楽人に聞いていただきたかった講座。

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Jean-Guihen Queyras at Suginami Kokaidou

22/6/2016(東京)
ジャン=ギアン・ケラスがバッハの無伴奏チェロ組曲を全6曲演奏しました。譜面台を立てずに、私たちとの対話を続けた2時間。様式化された伝統が大きな翼となり、自由に飛躍することができる使徒のように見えました。待ってました!の第6番は至福のニ長調。本来は通奏低音楽器として一本のバスラインを奏するチェロから高度な対位法様式の音楽を引き出している点で、また高音のE弦を加えた5弦楽器(一説にはバッハが考案したヴィオラ・ポンポーサ)に書かれたとされることからも、演奏至難の作品といわれますが、ケラスはさらに天衣無縫を極め、舞い始めた音がバロックの胎内で新しい生命を創造していきました。モーゼの杖はエジプトの海を切り開いて未来を示しましたが、バッハは馬の毛を張った細い弓をもって、生命の神秘を解き明かして見せるのです。そして使用楽器は1696年ジョフレド・カッパ製。作曲家の生きた時代から今日に至るまで、変わることのない創造の奇蹟を地上に響き渡らせてきた楽器なのです。
http://ebravo.jp/archives/26246

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TMSO with Kazushi Ono at Tokyo Bunka Kaikan

8/6/2016(東京)
イアン・ボストリッジを追っていると、必ずブリテンの名演に立ち会う幸運を得ます。最後の音が聞こえなくなった後も大ホールが静寂で微動だにしなかった『戦争レクイエム』(1月15日@すみだトリフォニーホール)から束の間、今回の『イリュミナシオン』では、歌い上げられたアルチュール・ランボーの短い人生が白昼夢のように、しかし確かな熱さを伴って感じられました。ランボーはフランスが生んだ天才詩人です。普仏戦争とパリ・コミューンで揺れるフランスに彗星のごとく現れ、燃え尽きるように生きた激動の半生と彼の文体は、あらゆる詩人に衝撃を与えました。アンリ・ド・レニエもそうした一人で、そのレニエの詩情に和音を乗せたドビュッシーは、印象派の名に相応しい色彩感で『雲』を描きました。今日の東京都交響楽団はまるでフランスの管弦楽団が響かせるような発音で、彩度の変化を鮮やかに描き出しました。主音を抜くことで得られる和声の浮遊は、スクリャービンのキーワードでもありました。重力の世界での浮遊を実践したドビュッシーに対し、スクリャービンは大気圏を突き抜けて宇宙空間に達しようと試みたのですが、あれほど太陽の引力に魅せられた作曲家は他に見当たりません。迫り来る熱のうちにすべてが溶けてしまうという妄想に取り憑かれたまま、まもなく自らの肉体が夢と共に燃え尽きてしまいました。スクリャービンは神秘和音と複合リズムという翼を得たイカロスでした。私たち日本人にとっての『法悦の詩』はむしろ「まさに刀を腹へ突き立てた瞬間、日輪は瞼の裏にかくやくと昇った」という三島由紀夫の一行に凝縮されるでしょうが、宇宙を初めて有人飛行したガガーリンがその後どうなったかを思い返す時、この交響曲で鳴り響くサウンドは、同時に警鐘のようにも聞こえてくるのです。今宵のマエストロ大野和士によるプログラミングは、陰影に富んだ物語だったという以上に、熱狂が持つネガティブな余韻で色濃く織り上げられたドラマで、人間の内側を覆う闇をもって夜の帳が下ろされました。
http://www.tmso.or.jp/j/topics/detail.php?id=1016

 
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Hilary Hahn & Cory Smythe at Tokyo Bunka Kaikan

7/6/2016(東京)
銀幕の向こうから出てきたかのような、女優の佇まいを持つヒラリー・ハーン。彼女がヴァイオリンを構える立ち姿は、ベラスケスの描いた王女マルガリータがそのまま大人になったような趣があります。それ故に、彼女の演奏だけはコンサートホールの正面席で聴くようにしています。奇をてらうようなボーイングを見せるわけでも、独特のこぶしを入れるわけでもなく、むしろ健康的な拍感と大きなフレージングによる堅実なアプローチで聴かせるタイプですが、彼女の佇まいがそのまま音となって現れてくるので、やはり特別なヴァイオリ二ストです。聞き慣れたバッハのフーガでさえ、今この瞬間に生まれたばかりの雛鳥のような初々しさを見せます。堅牢な中にしなやかさを宿すのが、ハーンの最大の魅力。また、彼女のコンサートでは必ず新しい音楽(作品)との出会いがあります。新しいレパートリーを求めて現代の様々な作曲家に新作を委嘱しているので、毎回のコンサートが過去と未来のクロスオーバーとして響きます。旅する彼女のヴァイオリンケースを追いかけると、まだ見知らぬ世界を訪ねることができるのです。
http://hilaryhahn.com / https://twitter.com/violincase

 
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第2回ダヌビア・タレンツ国際音楽コンクール(ハンガリー・ヴァーツ)のレポートを執筆しました。
 

2017年の新譜CD《インヴェンションへのオマージュ》(キングインターナショナル)です。
 

インタビューを全面記事で掲載していただきました。
 

〈今月の1曲〉シューマン『飛翔』の練習課題を執筆しました。
 

特集「コンクール奮闘記」にて執筆しました。また、インタビュー記事や多摩で開催された「CASIO Music Baton」のレポートも掲載されています。
 

特集「“聴く”ってなあに?」にて執筆しました。また、台湾で開催された「CELIVIANO Grand Hybrid」のレポート記事も掲載されています。
 

ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン「熱狂の日」音楽祭2017の出演について、また京都で開催された「CASIO Music Baton」のレポートも掲載されています。
 

特集「今どき!電子ピアノ事情」にて執筆しました。
 

特集「はじめての先生に教えたい!コンクール活用術」にて、ピアニストのプログラム構成法について執筆しました。
 

「ピアニストが語る2017年春夏のスケジュール」にて執筆しました。
 

新譜CD《そして鐘は鳴る》について、インタビューを全面記事で掲載していただきました。
 

特集「フィギュアスケートを彩るクラシック」にて執筆しました。また、ベストドレッサー賞の授賞式における演奏についてレポート取材が掲載されています。
 

金沢での「CASIO Music Baton」についてレポート取材が掲載されています。
 

2016年の新譜CD《そして鐘は鳴る》(キングインターナショナル)です。
 

初執筆のエッセイ本《赤松林太郎 虹のように》(道和書院)です。
 

表紙&巻頭インタビューが6頁にわたり掲載されています。
 

導入期のペダリングについて執筆しました。
 

ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン「熱狂の日」音楽祭2016の出演についてレポート取材が掲載されています。
 

特集「私のピアノ黎明期」にて、幼少時代(写真付)のことを執筆しました。
 

飯田有抄さんにモデルレッスン生を務めていただき、対談形式でレッスンの様子が6頁にわたり掲載されています。
 

誌上講座にてシューマン作品の指導法「ポエジーこそがシューマンの魅力であり演奏の難しさでもある」を執筆しました。
 

2014年の新譜CD《ピアソラの天使》(キングインターナショナル)です。
 

「きものMyStyle」拡大版で掲載されています。


2014年の新譜CD《ふたりのドメニコ》(キングインターナショナル)です。
 

「闘うピアニスト・赤松林太郎のきもの語り」第4回が掲載されています。エッセイと共に、冬のコレクションをお楽しみ下さい。


「レッスン密着レポ」で5頁特集されています。


「闘うピアニスト・赤松林太郎のきもの語り」第3回が掲載されています。エッセイと共に、秋のコレクションをお楽しみ下さい。


「闘うピアニスト・赤松林太郎のきもの語り」第2回が掲載されています。エッセイと共に、夏のコレクションをお楽しみ下さい。


「闘うピアニスト・赤松林太郎のきもの語り」という連載ページが始まりました。エッセイと併せて、私のきものコレクションそお楽しみ下さい。


男のきもの特集で「おしゃれ達人の『男』の着こなし」として1頁取り上げていただきました。


2010年の新譜CD《My dear Hungary!!》です。


等伯没後400年の2010年、彼の代表作『松林図屏風』に寄せたエッセイが「別冊太陽」(平凡社)で掲載されました。


別冊付録「プチ・モス」の表紙になりました。


メジャーデビュー公演前に、インタビューを全面記事で掲載していただきました。