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San Francesco d’Assisi: Patronus of Franz Liszt

3/12/2018(Roma)
トラステヴェレ地区の外れにあるサン・フランチェスコ・ア・リーパ教会。豪奢ではない建物や広場に立つ十字架の様子からも、フランシスコ会の教会であることが察せられます。フランシスコ会の設立者アッシジの聖フランチェスコを称えて、フランツ・リストは《伝説》の第1曲で彼の奇跡を描きました。アッシジの聖フランチェスコはリストの守護聖人なので、作曲に対する想いは並々ならぬものだったはずです。ローマに移住したリストは僧籍(ただし下級聖職位なので典礼を司る資格がなく、結婚や恋愛は自由)に入り、このようにキリスト教を題材にした作品を多く残しました。興味深いことにリストが楽譜に残した長い標題(St François d'Assise: la prédication aux oiseaux)はフランス語でした。それ故に「聖フランシス」(日本のカトリック界でもこの呼称が一般的)なのですが、これは ①アッシジの聖フランチェスコが南仏プロヴァンスに強い嗜好を持っていたことへのオマージュ、②リストがある作品や人物へのオマージュを示す時はきまってフランス語を用いたこと、が背景に考えられます。もっともこの教会で見逃せないのはベルニーニの晩年作《福女ルドヴィカ・アルベルトーニ像》で、73歳という年齢が生み出した奇跡的な法悦。

 
 
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Santa Cecilia in Roma

3/12/2018(Roma)
聖セシリア(チェチーリア)は音楽の守護聖人。ローマの音楽院は彼女の名前を冠しており、ローマの、イタリアの、世界の音楽家を保護する聖人として親しまれています。伝承として彼女は多くの楽器を用いることができ、弾き歌って神を賛美しました。そのため彼女を描いた多くの絵画は天を仰ぎながら楽器を奏でており、バルベリーニ宮やコンセルヴァトーリ宮の所蔵画は心が洗われるような美しさです。セシリアは「心のうちに音楽を奏でていた」と言われており、演奏家としての矜持を最初に示した先人と考えることもできます。殉教して葬られたカタコンベからセシリアが発見されたのは、死から千数百年経った1599年のことでした。拷問の末に首を斬られ3日間苦しみながら亡くなったセシリアですが、「聖女の墓が開けられた時に見た遺体をそのままの姿で写した」という碑文のとおりに、ステファノ・マデルノが彫刻した聖セシリア像の首には深い傷が残されています。神を賛美するために貞節を守り、音楽に殉じた聖女の美しさは、このカタコンブの上に建てられたサンタ・チェチーリア・イン・トラステヴェレ教会で永遠に残されています。11月22日は聖セシリアの記念日で、亡きフランス・クリダ先生の誕生日でもあります。死の数日前まで痛みを抑えながら弟子にレッスンを施していたという師を想うと、落涙を禁じ得ません。ここは私にとっても聖地のひとつです。

 
 
 
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Sant'Andrea della Valle: Act 1 of “Tosca”

29/11/2018(Roma)
今回の仕事場までの最寄りのバス停が、ちょうどサンタンドレア・デッラ・ヴァッレ教会の前でした。ジェズ教会と同じくデッラ・ポルタによる設計で、その影響を受けながらカルロ・マデルノがファサードとクーポラを完成させたこの教会は、なによりも《トスカ》第1幕の舞台として知られています。このオペラが最も表しているのは1800年のローマ、つまりナポレオン1世が北イタリアを再獲得してイタリア王国を建国する前の、不穏な政局を多分に反映した空気感です。第2幕はローマの警視総監スカルピアが主人公となりますが、反ナポレオン派の彼が公邸に使ったファルネーゼ宮が現在のフランス大使館となっているのも、このオペラを理解する上で大事なことでしょう。ローマにおけるファルネーゼ家の栄光と権謀の数々については言うまでもありません。そしてこのオペラはサンタンジェロ城で終幕を迎えます。ここは歴代の教皇によって強化され、牢獄を含む軍事的施設としてサン・ピエトロと地下で通じている、まさにローマの要塞。それだけで魑魅魍魎がうごめく夜のローマが印象づけられ、主人公の全員が絶命を遂げる悲劇が完結するわけです。ローマを歩いていると、この3つの舞台を結ぶ線がテヴェレ川に沿うジュリア通りであることに気づきます。貴族の豪邸が立ち並ぶこの美しい小径も、夜は闇が深く、多くの暗殺者が暗躍したにちがいありません。人間の持つ尊厳や愛の深さと、それを一握りで潰してしまう権力の暴力性といった二律背反。とはいえ、芸術はそのような構図を明らかにするために存在するものではありません。歴史に翻弄される人間の強さと脆さ、限りある命、気高さと愚かさ、愛と憎しみ、飢え、葛藤を精いっぱい描くことで、生きたこと自体の証をするのが芸術です。芸術(art)の語源はラテン語のarsで、自然に対置される人間の、生きていくための「術」。《トスカ》は紛れもなく稀代の天才ジャコモ・プッチーニの仕事です。

 
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Roman Pantheon

27/11/2018(Roma)
ラファエロが眠っているパンテオンを訪ねました。この界隈にも多くの神殿跡が残されており、ローマが多神教としての文明を誇っていたことを物語っています。古いギリシア文化からの影響を強く受けたローマは、古来の神々をギリシア神話の神々と同一視する、いわゆる「ギリシア語への翻訳」を行い、ギリシアの12神と相当神として同じ性格を持つことになりました。ギリシア神話の物語を積極的に取り入れたため、ローマ神話はギリシア神話と密接な関係を持っているのです。またローマ帝国の権力の拡大と共に、彼らの神に対応させる形で、服従させた国々の神にも仕えるようになったため、帝国内ではあらゆる神々が崇められ、当時は神殿の数だけでも200あまりあったと言われています。紀元前28年頃に建造されたパンテオンも、当初はこうした神殿の一つにすぎなかったのですが、150年後にハドリアヌス帝がバジリカの背後に天球を模したドームを加えたことで特別な存在となりました。ここで使用されたセメントの技術は、ローマ人がそれまで考えたことのなかった建造物を現実のものにしたわけで、直径・高さともに43.3メートルにも及ぶパンテオンのクーポラは、ギリシアの伝統に何ら追うことのない新しいローマを印象付けました。クーポラの頂上には直径9メートルの天窓が開いており、太陽の動きに従って光の帯がこの円形の建物の内壁を順に照らしていきます。太陽と共に動いているような錯覚は、科学を超えた神秘的な経験として、神々への熱い信仰へと結びついていったにちがいありません。テオドシウス帝が380年にキリスト教をローマ帝国の国教と宣言して以来、ローマ中の神殿は破壊や略奪の対象となりましたが、このパンテオンは聖母と殉教者を祀る教会となったため、無事に世紀を経ることができました。パンテオン界隈はパリ左岸のサン・ジェルマン辺りに似た雰囲気を持っており、美味しそうなレストランが軒を連ねているので、少しずつ通いたいと思います。

 
 
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Rome was not built in a day.

26/11/2018(Roma)
こん棒と獅子の毛皮はヘラクレスのアトリビュート。先ほどの《ベルヴェデーレのトルソ》も毛皮のようなものを敷いていることから、ヘラクレスではないかと想像できるわけです。〈円形の間〉に移ると、部屋の中心に置かれている直径13メートルの赤い水盤が圧倒的な存在感を示します。彫刻に適した白い大理石はトスカーナ地方のものが主で、黒曜石はエジプト産。しかし一枚岩の紅大理石ともなると、大変に貴重なものです。そしてこの部屋で異彩を放つのは、金メッキが施された《ヘラクレス像》。ブロンズは溶かされて武器に転用されることが多かったので、このようにオリジナルが残っているケースは珍しいとのこと。この像は1864年にカンポ・デ・フィオーリ広場に面したポンペイ劇場の中庭で発見されたものですが、ブロンズゆえに落雷を受け、ローマの習慣に従って生贄の子羊と共に埋葬された過去を持ちます。ローマ人の雷嫌いはどうやら古代から続いているようです。1779年にミケランジェロ・シモネッティによって完成された〈円形の間〉はパンテオンを模しています。ヴァチカン美術館内の庭園は松ぼっくりのブロンズが置かれていることから〈ピーニャの中庭〉と呼ばれていますが、この巨大な松ぼっくりはそもそもパンテオンの入り口にあった噴水で、入る者の身を清めるためのものだったと言われています。多神教だったローマにおいて「豊穣」は何よりも重要なことで、その象徴である松ぼっくりはローマの代名詞にもなっていったわけです。ローマは一日にして成らず。

 
 
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Belvedere Torso in Musei Vaticani, Roma

26/11/2018(Roma)
〈ミューズの間〉でひときわ目を引いたのが《ベルヴェデーレのトルソ》でした。紀元前1世紀にアポロニオスが制作した大理石の彫刻で、失われた下半身を加えたら2メートルを超える大きさを誇ったことでしょう。力を込めて上半身をひねっているポーズだけで、猛獣と立ち向かう若い男性の勇敢さが部屋いっぱいに溢れ出ています。このヘラクレスを想わせるトルソは、ルーブル美術館の《ミロのヴィーナス》とまさに好対照。このトルソの前に立ち止まった多くの人が、ミケランジェリ・ブオナローティの人生に想いを馳せるのではないかと思います。30代のほぼ全てをかけてシスティーナ礼拝堂の天井画を完成させたミケランジェロが、クレメンス7世に命じられて祭壇画の制作にも取り掛かったのは60歳を迎えた1535年のこと。フレスコ画を描く肉体的苦痛を考えただけでも、この歳で再び創造への情熱をたぎらせるのは並々ならぬことだったにちがいありませんが、ミケランジェロは再びこのトルソに立ち戻りました。かつてユリウス2世(天井画をめぐりミケランジェロと大きな確執が続いた)がミケランジェリにこのトルソの修復を命じた時、「このトルソの朽ち果てた姿は、十分すぎるほど美しい」といって拒んだそうですが、このエピソードが示すものは芸術の神髄です。ラファエロもミケランジェロも、その後に続くマニエリスムの芸術家たちも、このトルソのデッサンに耽ったのでしょうが、模倣はあくまで模倣にすぎません。絵画にしろ、彫刻にしろ、音楽にしろ、外観や様式では表しきれない部分に真実が宿り、生命の灯がともるのですから、心の耳を澄ませ、心の眼を開かないかぎり、何人も創造の源泉に触れることはできないのです。完全な姿でないトルソだからこそ、《最後の審判》におけるキリストの力強さが導き出され、天国に昇る者と地獄に堕ちる者を裁くシーンが結実しました。ミケランジェロの描くキリストは、私たちが想像する痩せ細った像とは大きく異なります。ルネッサンス時代ゆえの業であり、イタリア人としての古代ギリシアへの憧れでもあります。時を隔てて、人間は想いを巡らせるものです。それから350年が経ち、オーギュスト・ロダンがこのトルソから《考える人》を産み落としたことは感動的ですらあります。

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Heavenly paradise on Roman mosaic

25/11/2018(Roma)
キリストが生まれる以前より、モザイクは人が生きていた証を壁や床に残し、色とりどりの表情を持って時代を描いてきました。古代のローマは大きな帝国を誇り、パックス・ロマーナの時代には人口100万人以上を有していたので、記録は何よりも重要なことでした。属州であったエジプトから運ばれてくる帆船を描くことで、ローマの胃袋を満たすのに十分な15万トンの小麦の存在が明らかになりますし、なによりもキリスト教の布教の上でなくてはならないものでした。その点で、古代ローマの歴史はモザイクによって描かれてきたともいえます。コンスタンティヌス帝がコンスタンティノポリス(現在のイスタンブール)に遷都したのを機に、ローマは緩やかに中世へと移行して、モザイクはフレスコへと譲ることになります。ローマではフレスコ画の下に壊されたモザイクが眠っていることも珍しくないのです。数あるローマの古いモザイクの中でも、サンタ・プラッセーデ教会のモザイクは天上の美しさ。

 
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Palazzo Barberini, Roma

25/11/2018(Roma)
法王まで輩出したバルベリーニ家の栄華を物語るバルベリーニ宮。紋章になっている3匹の蜂は、共同体としての変わらぬ忠誠(活発、労働、社会的結束)を表すと共に、やはり三位一体を想わせるもの。ジャン・ロレンツォ・ベルニーニとフランチェスコ・ボッロミーニというバロックの2大巨匠が手掛けた建物ですが、この不仲のライバルの場外戦がローマのあちこちで見ることができ、耳を澄ませば17世紀の喧騒が聞こえてくるようです。

 
 
 
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Kabuki Drama at Kyoto Minami-za Theater

4/11/2018(京都)
今年の吉例顔見世興行は高麗屋3代が揃い踏み。藤十郎丈の紹介で3人が順番に襲名を口上する光景は、感動を禁じ得ませんでした。芸の道は山あり谷あり、良い時もあれば悪い時もある。しかし連綿と続くことで、一つの風となり、気配を生み、心が表れるもの。歌舞伎座で観た金太郎君の初舞台から9年。(P.S. ここ最近の壱太郎丈がすばらしい存在感!)

 
 
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András Kemenes plays J.S.Bach’s English Suites at Budapest Music Center

27/10/2018(Budapest)
バッハに関する講座を続けている中で、私はバッハの作品を聴く時に、解釈の是非や私自身の嗜好に依るのではなく、演奏家それぞれの遊び方に触れたいと思うようになりました。遊び(遊戯)には高度の思考と身体性を伴います。ハンガリー語では“Játék”といい、まさにクルタークが音楽の本質に見たものです。バッハの音楽は緻密さの中に多くの自由が許されており、それを発見する喜びこそが私たちにとっての「遊び」ではないでしょうか。和音に対して、アウフタクトに対して、通奏低音に対して、対旋律に対して、即興的装飾に対して、コレンテにおけるパッセージに対して、サラバンドのカンタービレに対して、ガヴォットの1拍目に対して、ジグの情熱に対して、どのようにアプローチするのか。鍵盤との最初の接点(つまり打鍵の瞬間)に演奏家そのものが表れ、指使いやペダリングへと派生します。音符の数だけ思考が存在し、チェスの棋譜を見ているようでもあります。今日のプログラムはイギリス組曲の第1番・第2番・第3番でしたが、曲が進むにつれてますます磨き抜かれていく技巧と奔放さに、四半世紀にわたり聞いてきたケメネシュ・アンドラーシュ(あるいはアンドラーシュ・ケメネシュ)という一人の芸術家の変わらない人間性を感じることができました。これがバッハを介した演奏家同士の交歓であるならば、無上の幸福です。

 
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Berlin Philharmonic with Kirill Petrenko at Lucerne Festival

30/8/2018(Luzern)
キリル・ペトレンコが彗星のごとく現れ、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団を継ぐことになり、『法悦の詩』の映像が世に出た時、私はこの人をわが伝道師と決めました。亡き師がいつも「生まれたての雛のような感触を失わない演奏」を説いていたとおり、彼の導く音はどれも最も鮮やかな瞬間を描き、その線は空間に感触を生み出し、舞台上で奇蹟を創
Edit造します。デュカスの『ラ・ペリ』とシュミットの交響曲第4番はいずれもポスト・ワーグナーらしい作品ですが、こうした観念的な音楽ですら、彼が空中に手を差し伸べると、なんらかの現象になるのです。そして彼の生地であるシベリアに沈むあるいは昇る太陽のような圧倒的な拡がり、寡黙にして雄大、荘厳にして神秘的。ここにユジャ・ワンのピアノ独奏が加わったプロコフィエフのピアノ協奏曲第3番は、今年4月にベルリン・フィルハーモニーで演奏された時の映像よりもさらに速く、さらにアイデアに富み、さらに精緻な演奏。アンコールは作品11の『トッカータ』。現代の2つの神話が重なり合った時、音楽はビックバンへと至りました。
https://www.digitalconcerthall.com/ja/concert/51178

 
 
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Cavalleria Rusticana & Pagliacci: Hungarian State Opera with Marco Comin

1/4/2018(Budapest)
ブダペストに戻り、エルケル劇場で『カヴァレリア・ルスティカーナ』『道化師』を観劇。いつもなら使わない裏道で往路を急いだため、鬱蒼とした夕暮れ時の移民街は危険な空気が立ち込めており、道すがら殺気立った視線を四方から受けました。これらのオペラでも下層社会の陋巷が舞台となっており、一触即発の暴力と殺人が渦巻きます。ヴェリズモという言葉は決して様式ではありません。『カヴァレリア・ルスティカーナ』は言わずと知れたマスカーニの名作で、フランシス・フォード・コッポラ監督による『ゴッドファーザー PART III』の終盤ではこのオペラが劇中劇として使われます。モノクロームな画面で2つの悲劇が同時に進みます。一幕物だからこそのドラマトゥルギーに強い衝撃を受けたレオンカヴァッロは、『道化師』で喜劇を一瞬にして悲劇にしてみせます。しかも劇中劇として描かれる殺人です。己の復讐を別の復讐心を煽ることで成し遂げ、うすら笑みを浮かべながら「コメディはこれで終わりです」と語りかけるカーニオ(道化師)に、向かおうとする時代の暗さや人間の闇の本質が表れています。そこに音楽が深い彫りを持って、私たちに迫ってきます。ナポリもそうですが、シチリア島に溢れる太陽の光は、深く奥知れない闇を生み出します。ゲーテが『イタリア紀行』の中で書いたシチリアの描写は、とりわけ印象的なものです。

 
 
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Frühling in Wien

31/3/2018(Wien)
ウィーン楽友協会の黄金ホールでは、Balkon Logen Rechts(2階右バルコニー席)かParterre Logen Links(1階左ボックス席)と決めています。これは私のこだわり。今日は幸いなことにステージ上の第1ヴァイオリンの後方席が取れたので、指揮者の表情を真横から見ることができました。子供の頃からずっと親しんでいたアダム・フィッシャーはすっかり可愛いお爺さんになっていましたが、指揮台の上でもステージ裏でも茶目っ気たっぷりで、子供のようにはしゃいでいました。ハンガリー節全開の指揮に、ウィーン交響楽団は洗練された対応を見せていました。帝都で磨かれた音質は、ブダペストで聴くものとは根本的に異なります。だからこそ「ウィーンの春」。第1部で登場したハンガリー出身のヤーノシュカ・アンサンブルはニュースタイルの四重奏で、ヨーロッパに疾風怒濤の嵐を巻き起こしている新鋭。チャルダーシュを基本とした東欧各国のニュアンスを巧みに織り交ぜながら、クラシック、ジャズ、タンゴ、ルンバと変幻自在で無敵の強さを誇ります。裸足のパトリツィア・コパチンスカヤの出現も含め、音楽のモードは21世紀に入ってから急速に変化しています。これは国際コンクールの現場にも言えることです。時代が急激に変化しているのだから、音楽の在り方が変容するのは当たり前のことです。クラシック音楽のような再現芸術でさえモードがあります。ヨーロッパの風は過去から未来に吹いています。音楽と共に時代を見つめ、時代と共に音楽を追い求める。演奏家の人生に万歳!
https://www.musikverein.at/konzert/eventid/32684

 
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Vietnamese Water Puppetry in Hanoi

23/2/2018(Hanoi)
湖に棲む亀から授かった宝剣で明軍を駆逐して、ベトナムを中国支配から解放したのがレ・ロイ(=レ・タイ・トー)。ここに黎朝が始まりベトナムに平和が訪れた頃、再び現れた亀に剣を返したという伝説が今日まで語り継がれています。その場所がホアンキエム(還剣を意味する)湖に浮かぶ小島。水上人形劇(Múa rối nước)では伝統楽器の軽やかな音色と共に、ベトナムに伝わる民話や習慣、農民の生活、そして建国の伝説が語られます。水中で操られるからこそ、人形の動きは繊細かつコミカルで、生き生きとした人間模様が描かれます。ベトナムの文化は農民や子供を大事にしています。人間の幸福が画面いっぱいに溢れる人形劇や絵画に触れることができ、ベトナム文化に大きく共感する機会となりました。今回はロータス水上人形劇場とタンロン水上人形劇場を訪ねました。

 
 
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Liszt Memorial Museum in Budapest

30/9/2017(Budapest)
ハンガリアン・ピアノ三重奏団を知っているならば、HUNGAROTONレーベルを熟知している人に違いありません。大時代的なロマン派を踏襲するオールドスクールの演奏は、今では聞きなじみのないものかもしれませんが、演奏の内に要請されるものは時代によって随分異なるので、古今東西の演奏を知っておくことは大切です。トリオの終演後はリスト記念博物館に立ち寄り、イタリア滞在中のリストに焦点を当てた展示を見学しました。リストが生きていた頃はどのような演奏が流行だったのか、そして彼の演奏流儀はどういったものだったのか。ここに集められた資料は多くのことを物語っています。
http://www.lisztmuseum.hu/en/

 
 
 
 
 
 
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Elena Bashkirova & Michael Barenboim & Julian Steckel at Lucerne Festival

26/8/2017(Luzern)
いつものKKL(Kultur- und Kongresszentrum Luzern)ではなく、今日はルカ教会でフェスティバルの公演を聴きました。ブラームスのピアノ三重奏曲を全3曲。猛暑で会場は蒸し風呂のようになり、弾き始めの1頁目からハンカチで汗を拭っていたエレナ・バシキロヴァ(ピアノ)。天才の家系を継ぐミヒャエル・バレンボイム(ヴァイオリン)、天賦の技巧で音楽を主導するジュリアン・ステッケル(チェロ)。ハ短調の第3番がハ長調に転じて、そのまま第2番へと流れると、ブラームスの生涯を遡っているようなチクルスが現れ、それだけでロマン派の息吹を感じることができました。圧巻の第1番は迸る若さと円熟が交錯して、感情が渦を巻きながら熱を帯びてきます。第3楽章からフィナーレへと入る瞬間は交響曲の感動と重なり、ひるむことなく向かっていく渾身のアプローチはロマン派のあるべき姿を体現していたように受け取りました。トリオは作曲家の人生を描く一つの編成であると同時に、近代以降の西洋音楽にとっての系譜でもあります。それを演奏するということは、私たちの誇りであり使命なのだと強く思い知らされた公演でした。
https://www.lucernefestival.ch/en/program/elena-bashkirova-michael-barenboim-julian-steckel/458

 
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Il ritorno d'Ulisse in patria: Monteverdi Choir & English Baroque Soloists with Sir John Eliot Gardiner

25/8/2017(Luzern)
ルツェルン夏の音楽祭にモンテヴェルディ合唱団&イングリッシュ・バロック・ソロイスツが登場。サー・ジョン・エリオット・ガーディナーが指揮するモンテヴェルディの『ウリッセの帰還』。
https://www.lucernefestival.ch/
http://www.monteverdi.co.uk/

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Filarmonica della Scala with Riccardo Chailly at Lucerne Festival

24/8/2017(Luzern)
ルツェルン夏の音楽祭はヨーロッパ音楽の精華を聴くことができる1ヶ月。今宵はリッカルド・シャイー指揮、フィラモニカ・デッラ・スカラ。ブラームスのヴァイオリン協奏曲を弾いたレオニダス・カヴァコスは、澄んだ音色で格調の高さを失わない一方で、極めてコントラストの効いたテンポ感でオーケストラを統率しました。往時のパガニーニを彷彿とさせる風貌のままに、超絶技巧で魅了するカリスマを持っているカヴァコスですが、この協奏曲のフィナーレで見せたアプローチは「21世紀のヨーゼフ・ヨアヒム」とも言うべきものでした。そのことはイェネー・フバイ一門の演奏を聴くことで明らかでしょう。後半のレスピーギは、シャイーの独壇場でした。彼らの『ローマの噴水』『ローマの松』からは、幾十ものイタリア映画で描かれてきた情景が鮮やかに呼び起されました。レスピーギの交響詩はローマの一日を描きましたが、6時のローマはまだ闇に包まれ、地上の真実を覆い隠すヴェールなのです。そこから静かに現れる上昇音階は、まるでクイリナーレの丘へと続く坂道。紀元前1200年頃に始まるクイリナーレの丘を想い起こすと、音楽そのものが歴史の語り部のように感じられ、眺望絶佳の丘からテヴェレ川向こうに見える夜明け前のサンタンジェロ城は、さながら『トスカ』の第3幕を彷彿とさせるものです。チューブラーベルはローマに響く鐘そのもの。トスカがそうであったように、ローマの運命も、幾度となく鐘によって示されてきました。ローマは時代ごとに黄昏を経験します。ローマ全体を茜色に染める夕暮れは、大気を最も豊饒なものにしますが、この瞬間にこそ私たちはローマの大叙事詩を感じることができるのです。レスピーギがこの暁に冠した音楽は、ローマ中の空気に浸透して、無言の感動に包まれます。これはイタリア人の職業芸術家の仕事です。古のケントゥリア(百人隊長)を配したような大管弦楽をもって、壮大な絵巻物語を書き上げたレスピーギの手練手管を、シャイーは誇り高きイタリア人の心で描き上げたのです。
https://www.lucernefestival.ch/
http://www.filarmonica.it

 
 
 
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Giacometti at Kunsthaus Zürich

24/8/2017(Zürich)
チューリッヒ美術館のある一区画は、ジャコメッティの森になっていました。彼の彫刻は天空の城ラピュタを歩くロボット兵を想わせ、不思議な静けさを湛えています。その静謐さは彼自身の眼の表情だったのかもしれません。様々な主題を多彩な方法で描いた絵画でさえ、ある種の静寂で統一されており、彼の作品に囲まれていると何か優しさのようなものを感じます。この美術館には20世紀の傑作群が並び、それぞれの作家の刺々しいまでの感性が放たれているので、ジャコメッティがかえって異色にさえ見えてくるのです。中世絵画については浅学菲才ゆえ、家内のレクチャーを受けながらの鑑賞。
http://www.kunsthaus.ch

 
 
 
 
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KBSSO with Joel Levi at Seoul Arts Center

29/6/2017(Seoul)
2014年からヨエル・レヴィが首席指揮者を務めるKBS交響楽団。ピアノ独奏はファジル・サイ。伝統の住人ではないサイによる奔放なモーツァルト(ピアノ協奏曲第23番)と、まさに屹立する伝統ともいえるブルックナー(交響曲第7番)の二本立て。この胎内にいるような至福をなんとかピアノで表現することができないだろうか。おそらく私の音楽的目標は、ブルックナーとマーラーの交響曲をピアノ独奏で完結させることにあるのだと思っています。緻密に張り巡らされた音の糸を10本の指の中に手繰り寄せ、いつか必ず全曲収録したい。
http://www.sac.or.kr/eng/program/view.jsp?seq=29129&s_date=2017321

 
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第2回ダヌビア・タレンツ国際音楽コンクール(ハンガリー・ヴァーツ)のレポートを執筆しました。
 

2017年の新譜CD《インヴェンションへのオマージュ》(キングインターナショナル)です。
 

インタビューを全面記事で掲載していただきました。
 

〈今月の1曲〉シューマン『飛翔』の練習課題を執筆しました。
 

特集「コンクール奮闘記」にて執筆しました。また、インタビュー記事や多摩で開催された「CASIO Music Baton」のレポートも掲載されています。
 

特集「“聴く”ってなあに?」にて執筆しました。また、台湾で開催された「CELIVIANO Grand Hybrid」のレポート記事も掲載されています。
 

ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン「熱狂の日」音楽祭2017の出演について、また京都で開催された「CASIO Music Baton」のレポートも掲載されています。
 

特集「今どき!電子ピアノ事情」にて執筆しました。
 

特集「はじめての先生に教えたい!コンクール活用術」にて、ピアニストのプログラム構成法について執筆しました。
 

「ピアニストが語る2017年春夏のスケジュール」にて執筆しました。
 

新譜CD《そして鐘は鳴る》について、インタビューを全面記事で掲載していただきました。
 

特集「フィギュアスケートを彩るクラシック」にて執筆しました。また、ベストドレッサー賞の授賞式における演奏についてレポート取材が掲載されています。
 

金沢での「CASIO Music Baton」についてレポート取材が掲載されています。
 

2016年の新譜CD《そして鐘は鳴る》(キングインターナショナル)です。
 

初執筆のエッセイ本《赤松林太郎 虹のように》(道和書院)です。
 

表紙&巻頭インタビューが6頁にわたり掲載されています。
 

導入期のペダリングについて執筆しました。
 

ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン「熱狂の日」音楽祭2016の出演についてレポート取材が掲載されています。
 

特集「私のピアノ黎明期」にて、幼少時代(写真付)のことを執筆しました。
 

飯田有抄さんにモデルレッスン生を務めていただき、対談形式でレッスンの様子が6頁にわたり掲載されています。
 

誌上講座にてシューマン作品の指導法「ポエジーこそがシューマンの魅力であり演奏の難しさでもある」を執筆しました。
 

2014年の新譜CD《ピアソラの天使》(キングインターナショナル)です。
 

「きものMyStyle」拡大版で掲載されています。


2014年の新譜CD《ふたりのドメニコ》(キングインターナショナル)です。
 

「闘うピアニスト・赤松林太郎のきもの語り」第4回が掲載されています。エッセイと共に、冬のコレクションをお楽しみ下さい。


「レッスン密着レポ」で5頁特集されています。


「闘うピアニスト・赤松林太郎のきもの語り」第3回が掲載されています。エッセイと共に、秋のコレクションをお楽しみ下さい。


「闘うピアニスト・赤松林太郎のきもの語り」第2回が掲載されています。エッセイと共に、夏のコレクションをお楽しみ下さい。


「闘うピアニスト・赤松林太郎のきもの語り」という連載ページが始まりました。エッセイと併せて、私のきものコレクションそお楽しみ下さい。


男のきもの特集で「おしゃれ達人の『男』の着こなし」として1頁取り上げていただきました。


2010年の新譜CD《My dear Hungary!!》です。


等伯没後400年の2010年、彼の代表作『松林図屏風』に寄せたエッセイが「別冊太陽」(平凡社)で掲載されました。


別冊付録「プチ・モス」の表紙になりました。


メジャーデビュー公演前に、インタビューを全面記事で掲載していただきました。