FC2ブログ

Rintaro Akamatsu Lecture Concert Series vol.4 in Nakatsu, Oita

MH_190810


 2年前から始まった大分県中津市でのレクチャーコンサートシリーズも、早いもので第4回となりました。偶数回は室内楽なので、今回は元九州交響楽団首席クラリネット奏者のタラス・デムチシン氏を迎えて、ブラームスのクラリネットソナタ2曲を中心に演奏しました。ブラームスは新しい交響曲を構想する時に室内楽を書く習慣がありましたが、この2つのクラリネットソナタでもピアノとクラリネットのかけ合いの中に小さな交響曲を感じることができ、主題や動機が絶えず変容する「ブラームスの霧」によって、私たちをより奥深い世界へと誘ってくれます。
 新しい会場となる sala arietta は豊かな音響がドーム状に広がり、作曲家が天蓋となって私たちを見守ってくれているような安らぎが得られるところでした。クララ・シューマンの手記には、ある時ブラームスから “Machen Sie wie Sie wollen, machen Sie es nur schön!” (とにかく美しく頼むよ、好きにやっていいから) と言われたことが残されています。タラスは自らの平衡感覚で自由に音楽を揺らし、自在に音符と戯れているようでした。晩年のブラームスがクラリネットに特別な愛着を持っていたのは明らかで、彼の〈愛の主題〉がピアノパートによって巧緻で重厚なタペストリーに織り上がっていく様は、無上の美しさです。私がこれ以上ブラームスについて何が言えるでしょうか!
 2回公演ともに満席で、ご来場くださった皆様に御礼申し上げます。昨年ウィーンの指揮者コンクールで優勝したタラスが創設したベートーヴェン・シンフォニエッタとの共演で、11月2日(土) 福岡の早良市民センターにてベートーヴェンの《ピアノ協奏曲第1番》を演奏します。また中津でのレクチャーコンサートシリーズ第5回は12月14日(土)、リル・ドリームにてシューマンを特集いたします。併せてお越しいただけましたら幸いです。

190810_1
190810_2 190810_3
190810_4 190810_5
190810_6 190810_7
190810_8


第4回・秋のソナタ ~ブラームスの見た景色~


 初々しい春の喜びが風のように吹き抜け、焦げるような太陽が支配した夏が去り、心はしだいに様々な色に染まる情景へと向かいます。時の移ろいは、人生に秋の気配をもたらします。ただ前方を向くだけの青年時代とは違い、未練や悔悛の情を含みつつも、日足が急に短くなった夕暮れ時の光景のように、独特の風情と輝きを放つもの。
 今回の〈秋のソナタ〉ではハンブルク生まれの巨匠ヨハネス・ブラームス(1833-1897)が主人公です。人生の終盤を迎えようとしていたロベルト・シューマン(1810-1856)を訪ねるところから、彼の芸術家としての物語が本格的に始まります。
 青年ブラームスは多くの音楽家を紹介されながらライン河を徒歩で旅行を続け、ついに1853年9月30日、デュッセルドルフにあるシューマン家の扉を叩きました。6月にヴァイマルでフランツ・リスト(1811-1886)に会って失望したブラームスは、この訪問に少なからずの不安を覚えていましたが、ビーダーマイヤー的な生活を送っているシューマン夫妻に対してそのような心配は一切無用でした。古い街並みが続くビルカー通りのシューマン家は家庭的な雰囲気に満ちており、シューマン(ロベルト)は「やあ、よく来たね」とブラームスを居間に招き入れたのです。先に弟子入りしていたアルベルト・ディートリヒ(1829-1908)は、その時の様子をシューマン自身から秘密めかした笑顔で告げられました。「すごい人物がやってきた。その名はヨハネス・ブラームス。これから皆、偉大な作品を聴くことになるんだぞ」
 しかし、彼らの別れはあっけなく訪れました。精神に錯乱をきたしたシューマン(ロベルト)は自殺未遂の後ボン近郊のエンデニヒに収容され、1856年7月29日に人生の幕を下ろしました。葬儀はごく近しい友人にしか知らされず、その後ブラームスがシューマン家を献身的に支え続けたことは、知られているとおりです。

 ブラームスの人生は未亡人クララとの書簡を通して追うことができ、まさにクララと共にあった生涯とも言えるでしょう。栄光の19世紀も終わりに差し掛かり、ロマン派の最後の巨匠として確固たる地位を手にしたブラームスは、大きく変貌を遂げたウィーンで創作活動に終止符を打とうとしていました。1891年5月6日、ブラームスの誕生日を祝うクララの手紙では、「私たちは皆、老いに対して貢物を納めなければならないのですね。でもなんと辛いことなのでしょう」と温かい気づかいが寄せられています。
 しかし同年、マイニンゲンで宮廷管弦楽団のクラリネット奏者リヒャルト・ミュールフェルト(1856-1907)に出会ったことで、ブラームスは創作意欲を取り戻し、いわゆる〈晩年〉の創作期に突入します。「当地のミュールフェルト以上に、美しくクラリネットを吹く人間はいません」「貴女も満足することでしょう…ただ私の音楽が邪魔にならないよう祈るだけです」とクララに感動を伝えています。
 ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトにとってのアントン・シュタートラー、カール・マリア・フォン・ウェーバーにとってのヨーゼフ・ベルマン、そしてブラームスにとってのミュールフェルトを想う時、クラリネットは霊感を具えた楽器と言えるかもしれません。いずれにせよ、ブラームスが《クラリネット三重奏曲》(Op.114)と《クラリネット五重奏曲》(Op.115)、そして2曲の《クラリネットソナタ》(Op.120)を書き残し、堅牢なソナタ形式に立脚しながらもブラームス独自の諦念に満ちた抒情性を織り込んでいくことで、古典音楽の総決算としたのです。
 世紀末が近づくにつれ、ウィーンを首都とするハプスブルク帝国は斜陽に向かい、名声を得ようとする才能は勃興するベルリンに群がり、新時代の建設に邁進しました。ウィーンのブラームスはすでに獅子奮迅の時期を脱し、クララの弟子たちが証言するように静かな日々を送っていました。
 楽曲もまた然り、ブラームスの音楽ではゆっくりと時間が進みます。この時間はメトロノームの速度とは関係がなく、心のひだを通る速さのことです。重い口を開いて、いくつかの言葉を漏らすのと同じように、彼の音楽は心の速度を取るようになります。それゆえ、どれほど喜びに満ちた瞬間でも彼の音楽は翳を伴って、北方の暗く長い冬を目前にした秋の奥深さを感じさせるのです。
 本公演ではタラス・デムチシン氏のクラリネットがブラームスその人となります。かつて彼の独奏でシューマンの《幻想小品集》を共演した後、彼の指揮でシューマンの《ピアノ協奏曲》を演奏したことがあり、その演奏はブラームスの標語でもある「自由に、しかし楽しく」(Frei aber Froh)を体現したものでした。これは真に孤独を知る人のみが達し得る音楽で、私はその日以来、彼のことをひとたびも忘れることはありませんでした。今日は彼の奏でる晩節のアリエッタに和音を添えて、音楽を響かせることができれば幸いです。

※〈中津にかける音楽の虹 赤松林太郎レクチャーコンサートシリーズ〉第4回に寄せた文章です。
関連記事