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行進曲に見るトルコとハンガリー

2020年5月11日(月)


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 〈オンライン音楽探究〉第1回は「行進する音楽」というタイトルで進めており、今日は追加開催(明後日は再追加開催)。前回の「まとめ」に則ってセミナーを進めたはずですが、やはり今日の私は昨日の私ではなく、今日は新しく見つけた道で皆様との行進を進めました。


 前回の質疑応答ではモーツァルトの《トルコ行進曲》におけるアチャカトゥーラ(短前打音)あるいは装飾的な複前打音について話が膨らみ、トルコの軍楽隊(メフテル)で登場するターキッシュ・クレセント(チェヴギャーンと呼ぶらしい)がベートーヴェンの《第九》最終楽章で用いられること等に触れました。ウィーン古典派と呼ばれる時間に、私自身は日本の安土桃山時代と似たものを感じており、市井から次々と生み出された新しい発明品の存在に触れるたび、創意工夫に満ちた楽しい時期だったことを想います。今では無くなってしまった5本ペダルのピアノもその一つで、響板を叩くハンマーを装備した5本目のペダルはまさに《トルコ行進曲》のためのもの。ただし、ウィーンのパスクヴァラティハウスに展示されている5本ペダルのものはトルコ・ストップではなく、リードが振動するような音になる仕掛けが施されたファゴット・ペダル。


 そして今日も刺激的な質問を投げ掛けていただきました。モーツァルトの《トルコ行進曲》がAllegrettoであるのに対して、ベートーヴェンはVivaceを指示。ただし実際にはほぼ同じ速度で弾かれるため、その表示からは作曲家が各々テンポをどう感じていたのかが垣間見えてきます。同じAllegroでも、ハイドンが第1楽章で使うものとモーツァルトとでは大きく異なります。パリ留学中にフランス・クリダ先生が「正装をして朝の散歩をするハイドンと、妻の目を盗んで夜遊びに出掛けていくモーツァルトを比べてごらんなさい」と言ったのをよく思い出します。


 ウィーン古典派の作品では、トルコ風とハンガリー風がよく用いられます。ウィーンから見れば両者とも「東方」となるのかもしれませんが、ウィーンに攻め入ろうとするオスマン帝国は、最後の壁として立ちはだかったハンガリーで様々な落とし子を残しました。ハンガリー中を旅すると、かつてトルコ軍が通った町とそうでない町ではまるで雰囲気が違うことに気づきます。ハンガリーを南方から侵攻したトルコ軍は、ハンガリー・カトリックの総本山であるエステルゴムを占領しましたが、エステルゴム城を謳ったハンガリー民謡を用いたメフテルの曲(https://youtu.be/_SavJIK4Yvw)が残っていることは大変興味深いことです。ケチケメートでは孔雀の意匠を目にすることが多いのですが、歴史を知れば、孔雀がアダムとイヴの楽園追放を共にして以来、オスマン帝国でいかに受容され、コダーイがどのような経緯で《孔雀の主題による変奏曲》を作曲したのかが明らかになります。


 ちなみに、ベートーヴェンの《トルコ行進曲》が含まれている劇音楽『アテネの廃墟』は、ペスト(現在のブダペスト)のドイツ劇場のこけら落としに作曲されたもの。東進を続けるナポレオン・ボナパルトの土埃を浴びたハンガリーで、芽生えつつある民族感情を抑えるためにオーストリア皇帝フランツ1世(ハンガリー国王としてはフェレンツ1世)が劇場建設を命じ、ベートーヴェンの作品を通してトルコの蛮行を思い出させるあたり、歴史は小説より奇なり。

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