FC2ブログ

「メヌエットの200年」を振り返って

2020年6月4日(木)


200604_1


 ヴラディミール・ジャンケレヴィッチの著書を読み返すことができた自粛期間は実り多い時間でした。
 20代の初めにジャンケレヴィッチの美しい文章に触れたことは、私の人生を豊かにしてくれました。音楽家になる道へハンドルを切り替える際、その入り口に『リスト ヴィルトゥオーゾの冒険』がありました。伊藤制子さんの翻訳もまた音楽的で、楽譜上のアーティキュレーションについて一つずつ考えを巡らせながら試行錯誤するように、紡ぎ出された言葉の一節ずつに向かい合わせてくれるきっかけになりました。死せるジャンケレヴィッチに対して、パリでは生きる多くの芸術家に会い、生きた言葉によって私の中で滞留する彼の言葉にたしかな肉感を与えてくれました。それは故フランス・クリダであり、ジャン・ミコー、そしてクリスチャン・イヴァルディの各先生でした。


 リスト本の翌年には『ラヴェル』の日本語訳が出版されました。頁を開いた瞬間から近代フランスの詩を読んでいるかのような眩惑を覚える本書は、福田達夫さんによる美しい邦訳。このような本が絶版になっている現状に少なからずの怒りと失望を抱くわけですが、〈オンライン音楽探究〉第2回「メヌエットの200年」の最後に紹介できたことは、私なりに意義を感じています。


 COVID-19によって世界史の針は急激に逆巻きされていますが、過去に戻るのではなく、予測もつかない速度で次の世界が形成されるのを感じる日々です。今回は〈メヌエット〉という一つのアンシャン・レジームの象徴を通して、200年以上の時の流れを静かに顧みることができました。リュリに始まってカプースチンまでのメヌエットの系譜はプレイリスト(https://spoti.fi/2YrLIwz)という形でまとめてみましたので、Spotifyでご活用いただければ幸いです。ここでは何よりも雄弁に音楽が歴史を物語ってくれます。


 音楽が私たちに教えてくれることの一つに、「擬態」の技法があります。メヌエットはとりわけ作曲家に多くの擬態を求め、時代の要請あるいはしたたかに生きていく術として、踊られずとも生き抜いてきました。ワルツがヨーロッパを踊らせている間、メヌエットは「のようなもの (quasi minuetto)」として次なる目覚めの時を待っていました。ラヴェルは1899年にまずパヴァーヌに息を吹き込み、その10年後には同じト長調の衣裳を纏って、メヌエットという仮面をつけてハイドンを称えます。その衣装が色褪せぬうちに感傷的なワルツ(ト長調で始まる)でシューベルトをオマージュして、自ら第1次世界大戦の戦線に立つことで経験した「一つの時代の終わり」を《ラ・ヴァルス》で描き切りました。ラヴェルのこのような文脈的な創作に想いを巡らせると、熟れ切ったイチジクの極上の芳香が立ち上り、やがて地面に落ちて潰れる景色が想像されます。


 この〈オンライン音楽探求〉はピティナ・ピアノコンペティションの課題曲に始まる旅路で、これまで「行進する音楽」「メヌエットの200年」と題して3回ずつセミナーを開催していただきました。皆様への告知の際は、事務局長の加藤哲礼さんが抒情的な文章で誘ってくださり、出航に先立つ心強い安全祈願となりました。三部作最後は「文体は人なり」という私の座右の銘をタイトルに掲げました。予約開始は6月8日、引き続きよろしくお願いいたします。

関連記事