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クレメンティ讃

2020年6月11日(木)


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 9日と11日のオンラインセミナーでムツィオ・クレメンティを取り上げました。後期バロック時代からロマン派の黎明期まで、激動のヨーロッパをロンドンで俯瞰した一人。クレメンティが幼少期を過ごしたローマは、ルイ14世によるルーヴル宮殿の拡張事業を巡り、バロック期における最後の輝きと敗北を同時に味わうことになります。クレメンティがイギリスに渡ったタイミングはまさに絶妙と言わざるを得ず、「そういう星の下に生まれる」運命を思い知らされます。クレメンティをまとめて聴く機会もないでしょうから、いつものようにセミナーに先立ち、Spotifyでプレイリスト(https://spoti.fi/2AQJQFS)を作成しました。


 当時25歳のモーツァルトとウィーンで演奏試合をした(その時にクレメンティが演奏した変ロ長調のピアノソナタは、後の《魔笛》で引用されることになる)1781年の出来事も、その前年のパリでのマリー・アントワネットの御前演奏がきっかけだと思っています。マリー・アントワネットは言うまでもなくヨーゼフ2世の妹で、グルックから英才教育を施された音楽家でもあるからです。人生を成功の裡に終えたクレメンティは、パルナッソス山の頂に至ったわけで、退屈な練習曲だと揶揄した《子供の領分》の作者ドビュッシーでさえ、その山麓のデルフィは美しく描きあげ、官僚的だと皮肉ることでサティは《パラード》の作者としての面目躍如。


 クレメンティをモーツァルトと同じように魅力的に紹介してくれたのは、ウラディミール・ホロヴィッツ。クレメンティ・リバイバルはピエトロ・スパーダによって本格的に始まり、チマローザの復刻者でもあるアンドレア・コーエンも加わりました。そしてマリア・ティーポの一連の録音は歴史的遺産となりました。クレメンティの交響曲を校訂したのはアルレード・カゼルラですが、そのカゼルラとグイード・アゴスティに師事した彼女は、チマローザの校訂で知られるマルチェラ・クルデリと並び称される存在でしょう。
 ティーポといえば、ある時期の国際コンクールでは審査員の常連で、2000年のクララ・シューマン国際ピアノコンクールでもマルタ・アルゲリッチと肩を並べていました。その時のファイナルステージでは、私の他にイレーネ・ルッソ(ラザール・ベルマン門下)とオリヴィエ・カーヴェ(ティーポ門下)がいました。ルッソが第2位、私が第3位、カーヴェは選外という結果に終わりましたが、いつも緊張していて首に掛けた十字架にキスばかりしていた繊細な彼の演奏を忘れたことはありません。今回プレイリストを作っている中で、彼が弾くクレメンティのアルバムを見つけ、深遠な芸術の世界で生きているのを演奏で知ることができ、音楽の歴史の必然を見たような思いです。


 そういえばパリ・エコールノルマル音楽院の室内楽高等演奏家資格を取得する際、2台ピアノでのプログラムで臨み、クレメンティの《2台ピアノのためのソナタ》から始めました。サル・コルトーの2階席にはノエル・リーなど著名なピアニストが審査員として並んでおり、私たちのデュオは音楽院初の20点満点を獲得しました。いろいろ懐かしい!


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