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Romanesque Hall of the Museum of Fine Arts in Budapest

2/4/2018(Budapest)
ブダペストの街中を歩いていると、二重帝国の一翼を担ったハンガリーの誇り高さが伝わってきます。この時代になって民族意識が高まったというよりは、ハンガリーの場合、強い民族意識の連続が歴史になっているといえるように思います。限定公開された国立西洋美術館の「ルネサンスの間」でも、壁面に描かれているのはアールパート朝歴代の王であり、フニャディ家とルクセンブルク家との関係も見て取れるようになっています。千年王国を祝祭するハンガリー独特の図像も鮮やかに修復されました。今日まで期間限定で公開されていました。エステルハージ家のコレクションが蒐集されたこの美術館は、スペイン絵画に関してはプラド美術館に次ぐ規模なので、再開が待ち遠しいです。
http://www.szepmuveszeti.hu/

 
 
 
.02 2018 海外漫遊 comment(-) trackback(-)

Beethoven in Heiligenstadt

31/3/2018(Wien)
トラムD線の終着駅はベートーヴェンガング。ここから「ベートーヴェンの散歩道」は始まります。ブダペスト郊外に美しい緑が広がるマルトンバーシャールがあるように、ウィーン郊外のこの丘陵地はベートーヴェンにとって創作の泉でした。今ではすっかり高級住宅地になってしまい、ベートーヴェンが生きた頃の牧歌的な光景は見られませんが、散歩に沿って流れる小川のせせらぎは《田園》交響曲から聞くことができます。ハイリゲンシュタットは自然主義者ベートーヴェンにとって、音が溢れる環境だったにちがいありません。詩人グリルパルツァーの家の2階を借りた「ベートーヴェン夏の家」では、この交響曲第6番が産声をあげ、今日ホイリゲになっている「マイヤーの家」では、シラーの詩に寄せた歓喜の歌(《第九》交響曲の第4楽章)がいよいよ体現されようとしていました。同時にベートーヴェンにとって苦悩の場所でもありました。奇しくも聴覚を失いつつあるベートーヴェンがここで生々しく聞いた音は、甥カールの銃声でした。1802年10月に彼は『ハイリゲンシュタットの遺書』を残しますが、彼はこの「遺書の家」に生涯11回にわたって滞在することになります。前傾屈で眉間に皺を寄せて歩く気難しいベートーヴェンと、軒を並べる賑やかなホイリゲはあまりに対照的です。ホイリゲでワインに酔うシューベルトは生粋のウィーンっ子であり、ベートーヴェンの生き様とは全く異質。ベートーヴェンは「生きる」ということを真剣に考えた人で、あまりに真剣に考えたために全人類の苦悩を背負い、人類愛を説かなければならなかったのかもしれません。《田園》から聞かれるのは、彼の死ぬ瞬間でさえ鳴り止まなかった苦悩の雷鳴です(彼の没日は激しい雷雨だったと伝えられています)。ハイリゲンシュタットを訪れると、私たちはベートーヴェンの苦悩の大きさを思い知りますが、いつもそれを乗り越えようとした彼の愛の大きさにむしろ胸を打たれます。ベートーヴェンへの愛、それは深まる愛です。展示室ではBBCが制作した『Beethoven's Eroica』(2003)が上映されています。《英雄》もまたハイリゲンシュタットで作曲された交響曲。世界を永遠に変えた瞬間を描いたドキュメンタリーフィルムなので、ここでシェアしたいと思います。
https://youtu.be/UtA7m3viB70

 
 
 
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Der Vorbote des Fruehlings

31/3/2018(Wien)
復活祭の散歩(Der Osterspaziergang)で思い出されるのはゲーテの春の歌。ハイリゲンシュタットの小径を歩きながら、ウィーンに生きた作曲家の面影を見て回った後、ヌスドルフで一軒のレストランに入りました。看板に描かれている白アスパラガスは、この店の何よりの信頼の証。フランクフルトのゲーテもグリューネゾーセ(春の七草ソース)を添えた子牛肉とアスパラガスを好んだと言われていますが、ヨーロッパの皆がこの春の便りを待ち焦がれたことでしょう。お供の白ワインには、春の花蜜が香り立つグリュナー・フェルトリーナー。今年度最後に出会った至高の味覚。

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Das Grab von Gustav Mahler in Grinzinger Friedhof

31/3/2018(Wien)
ようやくグリンツィングの墓参が叶いました。鳥の鳴き声に囲まれて、マーラーの作品のあれこれが思い出されます。彼の墓石は名前が小さく刻まれているだけで、「私の墓を訪ねる人なら私が何者かわかるはずだ。それ以外の者には用はない」と言ったとおり、とても分かりにくい場所にあるので、さすがにインターネットで調べました。マーラの音楽を聴くたび、深い感謝が溢れてきます。芥川也寸志先生にかわりデヴィッド・ハウエル先生が芦屋交響楽団を振られた際、当時5歳だった私はその指揮台の横でマーラーの交響曲第1番をほぼ記憶しました。私がピアノを弾き続けている理由の一つは、マーラーの全ての交響曲をピアノソロ(オットー・ジンガー編曲)で演奏するのが夢だからです。3年前にスカラ座でアンドリス・ネルソンスがボストン交響楽団を振って第6番を演奏した時、ミラノの聴衆が総立ちになり(Bravoではなく)「Grazie, maestro!」と投げ掛けていたのに涙が溢れ、マーラーが一つの言語であり、世界市民的な一体感を覚えたものです。チョン・ミュンフンの指揮は全曲聴くために、東京だけでなくソウルやパリまで追っています。40歳を迎えるにあたり、そろそろマーラーを弾き始めたいと心が訴えています。

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Walking all the day in Wien

30/3/2018(Wien)
ウィーン4区に住む教え子を訪ねました。出会った頃は幼稚園児だった彼も、まもなく6年生を終えようとしています。久しぶりに演奏を聴かせてもらい、彼が11歳で留学を決めたことは賢明だったと改めて思いました。師弟関係は上下の繋がりではないので、これからはヨーロッパで闘う異邦人どうしとして、共に切磋琢磨していきたいです。ウィーン市街を南から北までひたすら歩いた一日。途中で重い靴を捨て、新しい靴を買い直した時、眼が開いたような感覚がありました。バックパッカーとして諸国を遍歴していた頃が懐かしいですが、今は20代よりはるかに充実しています。

 
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Easter vacation in Wien

29/3/2018(Wien)
聖なる3日間(聖木曜日~)はウィーンで過ごします。旧市街を歩いていると、愛用した山川出版社の世界史用語集(実際は地理で大学受験したのですが)で記憶して以来の年号や事柄が頭の中で渦巻いて、一歩ずつがとても重く感じられます。ウィーンにはもう十数回訪れており、いつもこのような感じですが、訪れるたびに見える歴史の奥行きが変わるのは楽しいこと。頭も足も疲れた時は、街の至るところにあるイースター・マーケットで献杯。そしてお気に入りの店を巡っています。

 
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Springtime in Budapest

28/3/2018(Budapest)
ヨーロッパはまだ肌寒く、花満開の季節には到っていませんが、まもなくブダペストでも春の音楽祭が開幕。春は音楽が運んでくるのです。昨晩のうちに私だけブダペストに戻り、家にこもって夜通しデスクワーク。イースター休暇が終わると同時に、リスト音楽大学でブダペスト国際ピアノマスタークラスが始まります。私もつかの間のバカンスを楽しむことにします。

 
 
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One day in Kecskemét

27/3/2018(Kecskemét)
ドナウとティサというハンガリーの伝説を語り継いできた2つの大河に挟まれ、ケチケメートは複雑で豊かな歴史を育んできました。義父の日記にはフン族に遡る歴史や詩がよく出てきます。ハンガリー語を巧みに操った義父の傍で、娘は歌詞の意味が分からないまま古い民謡を口ずさんで育ちました。そうした民謡はコダーイやバルトークの精神につながるもので、食卓を囲みながら友人たちと酒を飲み、歌い、踊る時、人は交わるのです。それが本来の人間の営みであり、文化であり、音楽のあり方でした。宗教的な崇高さや高度に洗練された様式とは無縁ですが、今日の昼下がりに受けたもてなしのような慎ましやかな家庭の日常に、音楽が最も生き生きと響いているのを感じました。

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Budapest at night

25/3/2018(Budapest)
日曜日の夜中にひっそりと始まったサマータイム。ブダペストはまだ0度近くまで冷え込みますが、街には春の気配が漂い、イースター休暇の喜びで満ちています。

 
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4 Nights in Hanoi

25/2/2018(Hanoi)
喧騒をかい潜り、歩くべき場所を探し、道を渡る。食べることが精いっぱいで、芸術について考える余裕はまだ少ないかもしれません。そのことを粗野だとは思いませんし、むしろベトナムの民芸や古典芸能の中で花開いている伝統的な美意識を発見するたびに、民族や歴史の誇り高さを感じるばかりでした。ライムと香菜が織りなす鮮やかな味覚、ミントの清々しさ、ベトナム語の母音の豊かさ、楽観的に生きようとする気質。ハノイでの4泊は私にとっても覚醒の時間となりました。

 
 
 
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Avec Monsieur Didier Corlou à la Verticale, Hanoi

24/2/2018(Hanoi)
ソフィテル・メトロポール・ホテル前総料理長にして現顧問のディディエ・コルロー(Didier Corlou)氏は在越20年以上。ベトナム人の奥様を持たれ、香辛料の達人として広く知られている氏自らが腕を振るわれている「Verticale」でディナーをいただきました。グエン朝時代に王の使者たちがフランス政府の役人と会見する際に宿泊した邸宅を使用した建物は、白亜のコロニアル調。2012年に神戸の自宅でホームステイした友人とハノイで会い、スパイスの魔法に舌鼓を打ちながら、ベトナムの歴史観や経済、見どころ、サブカルチャーなどのローカル情報をたくさん聞くことができました。
http://didiercorlou-hanoirestaurants.com/

 
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Feeling Vietnamese history in Hanoi

24/2/2018(Hanoi)
ベトナム美術博物館(1930年代の仏領時代にインドシナ大学に通うフランス人子女の寄宿舎として建てられた)でラッカーペイントによる多くの作品を通して、内戦や農村について触れることができたのは良い機会でした。ロシアでことごとく打ち倒されたレーニン像も、この国では健在です。「ホーおじさん」ことホー・チ・ミン(Hồ Chí Minh)を記念した博物館も多くの観光客で賑わっています。一方で、今回の滞在で最も印象に残ったのは文廟(Văn Miếu)。学問の神様・孔子を祀る廟として1070年に建立され、ベトナム最古の大学となったハノイの象徴です。19世紀後葉にフランスの植民地支配を受けたとはいえ、ベトナムが1000年以上にわたり影響を受け続けたのは中国文化で、ベトナム人の歴史の受容が至るところで現れています。文廟は10万ドン紙幣になっている奎文閣でも有名ですが、桁の多さで知られているベトナム紙幣を使いこなすのはなかなか難しい!

 
 
 
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Promenade at Hanoi's night

23/2/2018(Hanoi)
ホアンキエム湖(Hồ Hoàn Kiếm)は夜の散歩道。季節の花が咲き誇り、ライトアップされた湖はベトナム建国の伝説を浮かび上がらせます。金曜日夜から日曜日にかけて、湖の外周と周辺の通りが歩行者天国になり、音楽と笑顔で溢れる時間が生まれます。映画の中にいるような幸福の空間。

 
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Egg Coffee at Cafe Phố Cổ, Hanoi

23/2/2018(Hanoi)
ハノイ伝統のエッグ・コーヒー(Cà phê trúng)。撹拌した卵黄とコンデンスミルクがプリンのようで、同量のコーヒー(ベトナムはロブスタ種)がカラメルのような味わいを生んでいます。知る人ぞ知る美味。ハノイに限らないことですが、戦争直後の物資不足は様々なアイデアを生み出し、そのままカルチャーとなっているケースが多く、旅で知る楽しみの一つです。
https://www.tripadvisor.jp/Restaurant_Review-g293924-d2413969-Reviews-Cafe_Pho_Co-Hanoi.html

 
 
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Walking around Old City of Hanoi

22/2/2018(Hanoi)
ベトナムの首都ハノイ。職人工房と店が立ち並ぶ旧市街(Phố Cổ)には猥雑な魅力と悪臭が立ち込め、クラクションを鳴らしながら走るオートバイが街の秩序となり、そこに様々な人種と食べ物の匂いが入り乱れます。昔ながらの風情や趣というよりは、生きることに精いっぱいだからこそのエネルギーが界隈の至るところに吹き溜まっており、生きていることの躍動と生命の鼓動が聞こえてきます。東南アジアを放浪した20代は、そのような環境に身を置いていました。怪しげなネオンが光るインターネットショップで夜を更かし、サソリが出るような路地裏の安宿で「起きて半畳寝て一畳」が当たり前だった頃、私は行き交う人たちに人生を教えられ、多くの危険に己を鍛えられました。今となっては邯鄲の夢のように思われることばかりですが、明日すべてを失ったとしても同じ境遇に戻れるだけの免疫力があると確認できたことは、私にとって大きな出来事でした。

 
 
 
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Arrived in Hanoi, Vietnam

21/2/2018(Hanoi)
スケジュールが過密になりすぎて首が回らなくなったので、しばらくハノイで休暇を取り、仕事を片付けていきます。

 
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Jeszcze Polska nie zginęła!

28/10/2017(Warsaw)
「ドンブロフスキのマズルカ」の名で知られているポーランド国歌ですが、1番の歌詞に「進め進めドンブロフスキ、イタリアの地からポーランドへ、汝の指揮下に、同胞と一つにならん」という件があります。なぜイタリアなのかという答えは、ワルシャワ市内の至る所で見つけることができます。高校の世界史で学んだとおり、ポーランドは3回にわたる国土分割(プロイセン・ロシア・オーストリアに譲渡)により、1世紀以上に及ぶ国家消滅の歴史を持ちます。ポーランドを併合した三国に対峙したのがナポレオン・ボナパルトが率いるフランスでした。ジャック=ルイ・ダヴィッドの描いた『ベルナール峠からアルプスを越えるボナパルト』が後世まで語り継いだフランス軍のイタリア侵攻ですが、そこで多くのポーランド軍隊がオーストリア軍からナポレオンのもとに投降しました。精鋭で知られていたポーランド軍団はフランス軍の部隊を任されることになり、ドンブロフスキの友人でもあったユゼフ・ヴィビツキ中尉が作詞したものが「イタリアのポーランド軍団の歌」として歌われるようになりました。ナポレオンの勢いは東に向けられ、プロイセンとの戦いで勝利したフランス軍はポズナンに入り、1807年の講和によってワルシャワ公国が誕生。ポーランド人にとっては久しぶりの主権回復となりました。しかし、ポーランドを足がかりにしたロシア遠征に失敗したナポレオンは、敗戦に次ぐ敗戦で帝位を失脚して、エルバ島に流されたことでフランスの帝政は中断。ナポレオンと運命を共にしたポーランドは、フランスと明暗を分かつ形で、再び国家消滅を道に至ります。各国に散らばったポーランド人は歴史に翻弄される形で、お互いが剣を交えなければならなかった苦悩の歴史を背負っています。そして再生の機運のたび、悲劇が襲いかかる物語の連続です。しかし、ささやかな期間だったワルシャワ公国で歌われ続けたのが「ドンブロフスキのマズルカ」だったという史実は、ポーランドの歴史を象徴的に物語っているように感じられます。歴史の試練に鍛えられた不屈の国民性です。今日のポーランドは、世界的な恐慌が相次いだにも関わらず、プラス成長を続けていますが、このことにも様々な歴史的背景が垣間見えます。私は今回の滞在を通して、ワルシャワで多くのことを見聞しました。そしていつも思うことですが、日本人がヨーロッパで仕事をするのに最も必要なものは、相手をよく理解することです。経済力ではなく歴史的知見です。哲学や思想をはじめユーモアや品格もそこから派生されるものだからです。国の尊厳や企業の価値を毀損しない働きとは何でしょう。志を共にする皆で考えていきたいことです。

 
 
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Chopin and Liszt at Park Łazienki

26/10/2017(Warsaw)
フランツ・リストがショパンの評伝を書いたのは、彼が亡くなったわずか3年後のことでした。これは単なる友情の書ではなく、ショパンとリストの精神的な強い結びつきを表しているもので、それぞれの母国が難しい道のりを歩んでいる中で、新しい時代を切り拓いていった芸術家どうしの尊敬と信頼が主題になっているように思います。そしてそのことをワジェンキ公園でも見ることができました。ショパンの存在には必ずリストが立ち会います。その尊い関係を未来まで伝えようとしたワルシャワの人たちを感じ、私はポーランドに心から敬意を抱きました。

 
 
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Muzeum Fryderyka Chopina w Warszawie

25/10/2017(Warsaw)
ワルシャワのショパン博物館には、ショパンの枕元に飾られていた押し花が展示されています。彼がパリのヴァンドーム広場12番地で帰らぬ人となった時、ショパンの後継者ともいわれたマルツェリーナ・チャルトスカがそこにいました。彼女はマドレーヌ寺院の葬儀で使われた花を押し花にして、終生大切にしていたと伝えられているので、ひょっとしたらこの押し花も彼女の手によるものかもしれません。留学地のパリで初めての新年を迎えるにあたり、私はセーヌ川に上がる花火をできるだけ近くで見たいと思い立ち、息を切らしながらたどり着いた先がヴァンドーム広場でした。パリジャンがするようにシャンパンを抜いて新年を祝いたかったのですが、持ち合わせのほとんどない私には青島ビールの缶が精いっぱいでした。それでもショパンが息を引き取った12番地の入口で、ショパンを感じながら希望のイルミネーションを見たことは一生の宝になりました。お金も将来のあてもなく、パリで辛い日々を過ごしていた異邦人にとって、ショパンは大きな心の支えでした。

 
 
 
 
 
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Staying at Warsaw

24/10/2017(Warsaw)
17年ぶりのワルシャワ。といっても初訪問に近く、前回はワレリー・ゲルギエフが主宰するサンクトペテルブルク夏の国際音楽祭に出演した後、トランジットで1泊したのみ。ポーランドの歴史を改めて読み直してみると、中世から連綿と続く複雑な事情を孕んだ大国ポーランドの変貌と凋落は、アダム・ミッケヴィッチやフレデリック・ショパンのロマン主義と決して無関係ではないということが分かります。今回も滞欧中は過密なスケジュールながら、ワルシャワでの見聞を満喫したいです。

 
 
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第2回ダヌビア・タレンツ国際音楽コンクール(ハンガリー・ヴァーツ)のレポートを執筆しました。
 

2017年の新譜CD《インヴェンションへのオマージュ》(キングインターナショナル)です。
 

インタビューを全面記事で掲載していただきました。
 

〈今月の1曲〉シューマン『飛翔』の練習課題を執筆しました。
 

特集「コンクール奮闘記」にて執筆しました。また、インタビュー記事や多摩で開催された「CASIO Music Baton」のレポートも掲載されています。
 

特集「“聴く”ってなあに?」にて執筆しました。また、台湾で開催された「CELIVIANO Grand Hybrid」のレポート記事も掲載されています。
 

ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン「熱狂の日」音楽祭2017の出演について、また京都で開催された「CASIO Music Baton」のレポートも掲載されています。
 

特集「今どき!電子ピアノ事情」にて執筆しました。
 

特集「はじめての先生に教えたい!コンクール活用術」にて、ピアニストのプログラム構成法について執筆しました。
 

「ピアニストが語る2017年春夏のスケジュール」にて執筆しました。
 

新譜CD《そして鐘は鳴る》について、インタビューを全面記事で掲載していただきました。
 

特集「フィギュアスケートを彩るクラシック」にて執筆しました。また、ベストドレッサー賞の授賞式における演奏についてレポート取材が掲載されています。
 

金沢での「CASIO Music Baton」についてレポート取材が掲載されています。
 

2016年の新譜CD《そして鐘は鳴る》(キングインターナショナル)です。
 

初執筆のエッセイ本《赤松林太郎 虹のように》(道和書院)です。
 

表紙&巻頭インタビューが6頁にわたり掲載されています。
 

導入期のペダリングについて執筆しました。
 

ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン「熱狂の日」音楽祭2016の出演についてレポート取材が掲載されています。
 

特集「私のピアノ黎明期」にて、幼少時代(写真付)のことを執筆しました。
 

飯田有抄さんにモデルレッスン生を務めていただき、対談形式でレッスンの様子が6頁にわたり掲載されています。
 

誌上講座にてシューマン作品の指導法「ポエジーこそがシューマンの魅力であり演奏の難しさでもある」を執筆しました。
 

2014年の新譜CD《ピアソラの天使》(キングインターナショナル)です。
 

「きものMyStyle」拡大版で掲載されています。


2014年の新譜CD《ふたりのドメニコ》(キングインターナショナル)です。
 

「闘うピアニスト・赤松林太郎のきもの語り」第4回が掲載されています。エッセイと共に、冬のコレクションをお楽しみ下さい。


「レッスン密着レポ」で5頁特集されています。


「闘うピアニスト・赤松林太郎のきもの語り」第3回が掲載されています。エッセイと共に、秋のコレクションをお楽しみ下さい。


「闘うピアニスト・赤松林太郎のきもの語り」第2回が掲載されています。エッセイと共に、夏のコレクションをお楽しみ下さい。


「闘うピアニスト・赤松林太郎のきもの語り」という連載ページが始まりました。エッセイと併せて、私のきものコレクションそお楽しみ下さい。


男のきもの特集で「おしゃれ達人の『男』の着こなし」として1頁取り上げていただきました。


2010年の新譜CD《My dear Hungary!!》です。


等伯没後400年の2010年、彼の代表作『松林図屏風』に寄せたエッセイが「別冊太陽」(平凡社)で掲載されました。


別冊付録「プチ・モス」の表紙になりました。


メジャーデビュー公演前に、インタビューを全面記事で掲載していただきました。