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赤松林太郎 旅と音楽

闘うピアニスト、平成から令和へ。新しい時代も駆け抜けていきます!

Workshop in Iwaki (Burgmüller's works)

2019年9月13日(いわき)


 仙台に引っ越した中学2年生の時、地元ではなかなか親切にしてもらえなかった中、審査員にも関わらずコンクールで起立して拍手を投げかけてくださった故・若松紀志子先生のお誘いで、学生のうちからいわきで演奏の機会を何度も与えていただきました。生前の若松光一郎(洋画家)、佐藤忠良(彫刻家)といった美術界の巨匠に間近で演奏を聴いていただけたことは、今となっては宝のような思い出です。
 東日本大震災があった年、茨城空港からレンタカーで東北に向かい、真っ先に入ったのがいわきでした。ボランティアを兼ねて福島第一原発20km圏ぎりぎりまで見て回り、宮城県の沿岸部を北上しました。この震災で日本は大きく変質してしまった。被災地を目の当たりにしなかったら、その実感は未だになかったかもしれません。その頃ちょうどいわきで災害対応の先頭に立たれておられた世界的医師の石井正三氏とは、その後ハンガリーの知人からの紹介で邂逅を果たし、今日では私たち夫婦にとってかけがえのない友人となりました。歴史と芸術とワインを心から愛されている大人物です。
 いわきには震災の年以来ですので、実に8年ぶりの訪問。激甚の被災地は見違えるばかりに復興を遂げましたが、思うことは失ったものの大きさばかり。今回いわきでの公開講座を企画してくださった地元の先生方からも、長きにわたるご苦労をうかがいました。お招きくださったことに感謝の気持ちしかありません。
 いわきを発つ前、ART SPACE ELICONA を訪ねましたが、自分の家に戻ってきたような気持ちがしました。光一郎先生が亡くなられた後、氏の遺品を収納するために建設されたホール&ギャラリーで、爾来音楽と美術のオアシスとなっています。玄関扉を開けると、ホールから紀志子先生の軽妙な足音が聞こえてくる気がして、往時のまま時が止まっているかのようでした。そして被害を免れたスタインウェイがステージの上にいつものようにありました。勧められるがままにシューマンの《アラベスク》を弾きましたが、ピアノの響きがこのように美しいと思ったことは初めてで、目頭が熱くなるばかりでした。忘れがたい2日間となりました。

Shadow Capital of Habsburg Monarchy

2019年9月1日(Innsbruck, Österreich)


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 インスブルックでは中世最後の騎士マクシミリアン1世が今なお英雄です。そしてマリア・テレジアがこの地で執政するようになる300年に及ぶハプスブルク家の栄華が語り継がれる「影の首都」。ウィーンで見るハプスブルク家の栄華とは異なる、根強く張られた一族のルーツや結びつきの強さが重厚に感じられ、そのクライマックスが王宮の大広間なのでしょう。豪奢な空間のすべての面に一族の肖像画が埋め込まれ、ここではマリー・アントワネットもドイツ語でマリア・アントーニア(Maria Antonia)なのです。
 宮廷教会にもハプスブルク家とその姻戚関係にあった人の像が並んでいます。教会とは思えない空間にはイングランドのアーサー王も加わっており、マクシミリアン1世の敬愛ぶりがうかがい知れます。
 「銀座ハプスブルク・ファイルヒェン」の神田真吾氏(オーストリア国家公認キュッヘンマイスター)がインスブルックで修行したことも、こうした歴史的背景と無関係ではないのだろうと様々な想いを抱きながら、料理でもチロルを堪能しました。

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Hafelekar (2,334 m) in Austria

2019年9月1日(Innsbruck, Österreich)


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 今朝はインスブルックから「北の鎖」であるノルトケッテ連峰のハーフェレカー(2,334m)に登りました。南には3,000m級の巨峰が横並び、イタリアとの文化的玄関ブレンナー峠も彼方に望めます。大陸移動と氷河が生み出したアルプスの壮大にして奥深い険しさを眼前にするたび、フランケンシュタインの物語がなぜ峨々たるアルプスを背景にしたのかを想います。
 https://nordkette.com/

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4 Days in search of the Mozart family

2019年8月31日(St. Gilgen, Österreich)


 ウィーン、ザルツブルク、そしてモーツァルトの母アンナ・マリアの生地ザングト・ギルゲンまで足を伸ばし、モーツァルト家のルーツを辿りました。チロルの高い峰々が一望できる湖畔の、大自然に抱かれた美しい村です。ヴォルフガングの妹マリア・アンナ(ナンネル)が嫁ぎ、ピアノ教師を務めた地でもあり、Mozartdorfとでも言うべきかもしれません。兄の影に存在が隠れがちのナンネルも、7歳から父レオポルトの手ほどきを受けて、兄同様に神童の呼び声が高かったクラヴィーア奏者でした。亡くなった母の肖像画を背景に、父がヴァイオリンを持ち、兄弟で連弾をしている《モーツァルト一家の肖像》(ヨハン・ネボムク・デッラ・クローチェ作、1780年)が往時を偲ばせます。私自身4人兄弟の長男としてピアノを主にして育てられてきたので、3人の妹が私から離れるようにピアノ以外の楽器を選択していったことに、今さらながら複雑な想いです。

at Mozarthaus Vienna

2019年8月28日(Wien, Österreich)


 帝都を守護する城壁を潜り抜けると、華やかなファッションと革新の機運が漲った高揚感で溢れていたことでしょう。18世紀末、ウィーンの城壁内には約5万人が住んでいたと言われています。ザルツブルクの雪解けを待ち、ウィーンにやってきたモーツァルトのはしゃぎようが目に浮かびます。
 最近まで「フィガロハウス」と呼ばれていたDomgasseの建物(今日の Mozarthaus)は唯一現存するモーツァルトの住居(ウィーンでの11年間に13回の引っ越しをしている)で、《フィガロの結婚》を作曲したことで知られています。当時は皆が憧れる豪華な高層ビルで、天性のセンスで時流を諷刺するには最良の場所だったのかもしれません。初演時に「今日において、語ることを許されないものは、歌で表現される」と評されたとおり、モーツァルトは時代を音楽に昇華させていきました。
 モーツァルトハウスでは、サミュエル・モールスの描いた謎めいた人物ダ・ポンテが静かに物語るように、《魔笛》や《ドン・ジョヴァンニ》を経て、死へと至る《レクイエム》までのモーツァルトのミステリアスな生涯を追うことができます。
 偉大な歴史上の人物は、解答より疑問を多く残します。そしてその疑問の数だけ私たちは根源的なものへと導かれ、観念から出発してはいけないと教えられます。無心で歴史を見て、楽譜を読む。すると楽譜の方から「モーツァルトとは何か?」という問いに答えてくれる時があります。今回の旅はザルツブルクへと続きます。

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Twilight in Heiligenstadt

2019年8月27日(Wien, Österreich)


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 いつものように思い立ってハイリゲンシュタットに向かい、青い実をつけて美しい行列を見せる葡萄畑をかいくぐり、少しずつ茜色を帯びてくる夕暮れ時を歩きました。夏も終わりに差しかかる頃、名残のように照りつける太陽から緑の天蓋が私たちを柔らかく覆ってくれるBeethovengasse。時間と人が静かに往来する小径。
 遺書の家からわずかなところに立つ聖ミヒャエル教会は、空が最も美しく見える場所だと思っています。雲のある景色の方が好きですが、鐘が音を変えながら鳴る時、空も呼応して色を変えるのです。ここでは田園交響曲が永遠に響いているので、失いかけたものを取り戻すことができます。耳を失ったベートーヴェンは、私たちが耳を失わないために生き続け、最後の瞬間まで善のために作品を残した人。彼の遺書は私たちへの大いなる癒しだったのですね。


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Thank you very much for all your birthday messages!

2019年8月27日(Hounslow, UK)


 深夜のロンドン。泡立てすぎたバスタブの中で溺れるように誕生日を迎えました。久しぶりのBAでは映画三昧・涙三昧でしたが、これでは私自身が間抜けな映画の1シーンのような。時差ボケが解消したのかわからないうちに次の渡航が来るので、私自身が全体的にボケてきているようにも感じられますが、いろいろな面で40代が本格的に始まった実感と向き合っています。
 自分でも驚いているのが食志向の変化。横田明子画伯が送ってくださったイラストのように、私の場合は肉の塊&ワインというイメージが劇画的に定着してしまっていますが、今年に入ってから食卓のメインは海の幸に移行中。海外滞在では味噌汁必携。自宅でも赤だし命の菜食中心で、卓上は八百屋さんの野菜を一通り味わえるくらいのモリモリ感。薬味はあればあるだけ大歓迎。薬膳という名のスパイスカレーも進化中。しかしおかわりをしすぎるせいで、体重がなかなか減らないという本末転倒。
 いずれにしても来年の本厄に向けて勝負の年で、実は毎日のスケジュールがすでに修羅場なのですが、多くの方々のご尽力に感謝して、ぶれないで楽しんでいきます。叩かれても干されてもアジの道。そんな味のあるアウトサイダーを全うしたいものです。

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Jury: The final stage of Galaxcity Music Competition in Tokyo

2019年8月25日(東京)


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 足立区は町おこしのために音楽事業に力を入れており、ギャラクシティ音楽コンクールもその一環だと伺いました。今日は第2回を迎えたコンクールの本選会で、國谷尊之(東邦音楽大学教授)、海瀬京子(東京音楽大学非常勤講師、常葉大学非常勤講師)、金井玲子(浦和大学教授)、白石光隆(東京芸術大学非常勤講師)の各氏とご一緒させていただきました。超個性派が集結した審査員控室は抱腹絶倒の空間で、ここに呼んでいただいたことに心から感謝しました。
 12月1日(日)の入賞者演奏会ではゲスト演奏としてショパン《ピアノ協奏曲第1番》のソリストを務めますので、たくさんの方にご来場いただけましたら幸いです。すばらしい運営をされた主管の皆様に御礼申し上げます。

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Award Ceremony & Party of the 43rd PTNA Piano Competition

2019年8月23日(東京)


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 第43回ピティナ・ピアノコンペティションの全日程が終了し、今日はホテルニューオータニ東京における表彰式&パーティーに出席しました。お世話になっている全国各地の関係者やご家族の皆様にもお目にかかれ、ご挨拶いただきましてまことにありがとうございます。
 今年度は主に第2指導者として定期的に指導している19組が全国決勝大会に進み、12組(A1級銅賞、C級金賞、D級金賞、D級ベスト賞、E級ベスト賞、F級ベスト賞、連弾初級Cベスト賞×2、連弾中級Aベスト賞×2、グランミューズA2カテゴリー第1位、グランミューズYカテゴリー第3位)が入賞いたしました。全国決勝大会に入選された全員に心よりお祝い申し上げますと共に、3年連続で特別指導者賞をいただきましたことを今後の励みとしてありがたく存じます。https://compe.piano.or.jp/result/2018/

 出来事としては前後しますが、前日に担当させていただいた2台ピアノ部門の審査が私にとって大変実り多い時間でした。以下長文となりますので、一両日中に書き上げる形で追記していきます。・・・工事中・・・

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【お知らせ】ピティナ・ピアノコンペティション グランミューズ部門全国決勝大会の受賞

 ピティナ・ピアノコンペティションのグランミューズ部門全国決勝大会において、Yカテゴリー第3位(大阪音楽大学ピアノ専攻 ピアノ演奏家特別コース2年生)とA2カテゴリー第1位(社会人)の知らせをいただきました。心から祝福をお贈りいたします。彼女たちの絶えまぬ努力に応えられるよう、私自身も学びを深め、指導にさらなる磨きをかけていきたいと存じます。連日の暑さの中コンクールを運営されている皆様に深謝申し上げます。
 https://compe.piano.or.jp/2019/08/yj817.html
 https://compe.piano.or.jp/2019/08/abd818.html

One night with an old friend

2019年8月18日(富山)


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 海に近い田んぼの中にぽつんと立つ、まったく有名ではないひなびた温泉旅館で、旧友とマニアックなウィスキーを傾け、食品添加物まみれのスナックを食べながら、ひたすらオーケストラ談義。腹を抱えて笑い、吠えまくる年2回の心のオアシス。気がつけば人生の半分くらいをこうやって過ごしています。
 帰りは彼の畑で無農薬の野菜をいくつか収穫させてもらい、東京への新幹線に乗りました。

Hospital Concert in Oyabe, Toyama

2019年8月18日(小矢部)


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 使用ピアノはYAMAHA G1。寄贈されて以来19年を共にしてきましたが、老いた小さなピアノが時折聞かせる切実な響きを逃さないよう、心を鎮めて演奏しました。語り尽くせない私たちの十余年を、このピアノはたしかに記憶しています。36回目ともなるとそれだけで無条件に感慨深いもの。縁もゆかりもなかった北陸で、松岡病院の松岡院長ご夫妻が広げてくださったご縁は、そのまま回数となって積み重なっています。

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Short break in Kobe

2019年8月11日(神戸)


 残暑の候 本格的な暑さが続いておりますが、いかがお過ごしでしょうか。今年は山に登らず、数日間神戸の自宅にこもり、のんびり過ごします。
 近年は海外への渡航が増え、演奏や執筆、大学の勤務、年間100回以上のセミナーだけで手一杯ではありますが、時間が許すかぎり後進に音楽を伝えたいと思い、主に第2指導者として定期的に指導にあたっております。このたびはピティナ・ピアノコンペティションに参加した門下生19組が全国決勝大会に進めることになり、また多くの方々が入賞されました。まことにおめでとうございます。
 努力が必ず報われる道ではありませんが、道に迷った時のために、シューマンがラローに語らせた言葉で「最初の発想は常に最も自然で最も良い。悟性はまちがえるが感情はあやまたない」(《音楽と音楽家〉)という箴言を記しておきます。

Rintaro Akamatsu Lecture Concert Series vol.4 in Nakatsu, Oita

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 2年前から始まった大分県中津市でのレクチャーコンサートシリーズも、早いもので第4回となりました。偶数回は室内楽なので、今回は元九州交響楽団首席クラリネット奏者のタラス・デムチシン氏を迎えて、ブラームスのクラリネットソナタ2曲を中心に演奏しました。ブラームスは新しい交響曲を構想する時に室内楽を書く習慣がありましたが、この2つのクラリネットソナタでもピアノとクラリネットのかけ合いの中に小さな交響曲を感じることができ、主題や動機が絶えず変容する「ブラームスの霧」によって、私たちをより奥深い世界へと誘ってくれます。
 新しい会場となる sala arietta は豊かな音響がドーム状に広がり、作曲家が天蓋となって私たちを見守ってくれているような安らぎが得られるところでした。クララ・シューマンの手記には、ある時ブラームスから “Machen Sie wie Sie wollen, machen Sie es nur schön!” (とにかく美しく頼むよ、好きにやっていいから) と言われたことが残されています。タラスは自らの平衡感覚で自由に音楽を揺らし、自在に音符と戯れているようでした。晩年のブラームスがクラリネットに特別な愛着を持っていたのは明らかで、彼の〈愛の主題〉がピアノパートによって巧緻で重厚なタペストリーに織り上がっていく様は、無上の美しさです。私がこれ以上ブラームスについて何が言えるでしょうか!
 2回公演ともに満席で、ご来場くださった皆様に御礼申し上げます。昨年ウィーンの指揮者コンクールで優勝したタラスが創設したベートーヴェン・シンフォニエッタとの共演で、11月2日(土) 福岡の早良市民センターにてベートーヴェンの《ピアノ協奏曲第1番》を演奏します。また中津でのレクチャーコンサートシリーズ第5回は12月14日(土)、リル・ドリームにてシューマンを特集いたします。併せてお越しいただけましたら幸いです。

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第4回・秋のソナタ ~ブラームスの見た景色~


 初々しい春の喜びが風のように吹き抜け、焦げるような太陽が支配した夏が去り、心はしだいに様々な色に染まる情景へと向かいます。時の移ろいは、人生に秋の気配をもたらします。ただ前方を向くだけの青年時代とは違い、未練や悔悛の情を含みつつも、日足が急に短くなった夕暮れ時の光景のように、独特の風情と輝きを放つもの。
 今回の〈秋のソナタ〉ではハンブルク生まれの巨匠ヨハネス・ブラームス(1833-1897)が主人公です。人生の終盤を迎えようとしていたロベルト・シューマン(1810-1856)を訪ねるところから、彼の芸術家としての物語が本格的に始まります。
 青年ブラームスは多くの音楽家を紹介されながらライン河を徒歩で旅行を続け、ついに1853年9月30日、デュッセルドルフにあるシューマン家の扉を叩きました。6月にヴァイマルでフランツ・リスト(1811-1886)に会って失望したブラームスは、この訪問に少なからずの不安を覚えていましたが、ビーダーマイヤー的な生活を送っているシューマン夫妻に対してそのような心配は一切無用でした。古い街並みが続くビルカー通りのシューマン家は家庭的な雰囲気に満ちており、シューマン(ロベルト)は「やあ、よく来たね」とブラームスを居間に招き入れたのです。先に弟子入りしていたアルベルト・ディートリヒ(1829-1908)は、その時の様子をシューマン自身から秘密めかした笑顔で告げられました。「すごい人物がやってきた。その名はヨハネス・ブラームス。これから皆、偉大な作品を聴くことになるんだぞ」
 しかし、彼らの別れはあっけなく訪れました。精神に錯乱をきたしたシューマン(ロベルト)は自殺未遂の後ボン近郊のエンデニヒに収容され、1856年7月29日に人生の幕を下ろしました。葬儀はごく近しい友人にしか知らされず、その後ブラームスがシューマン家を献身的に支え続けたことは、知られているとおりです。

 ブラームスの人生は未亡人クララとの書簡を通して追うことができ、まさにクララと共にあった生涯とも言えるでしょう。栄光の19世紀も終わりに差し掛かり、ロマン派の最後の巨匠として確固たる地位を手にしたブラームスは、大きく変貌を遂げたウィーンで創作活動に終止符を打とうとしていました。1891年5月6日、ブラームスの誕生日を祝うクララの手紙では、「私たちは皆、老いに対して貢物を納めなければならないのですね。でもなんと辛いことなのでしょう」と温かい気づかいが寄せられています。
 しかし同年、マイニンゲンで宮廷管弦楽団のクラリネット奏者リヒャルト・ミュールフェルト(1856-1907)に出会ったことで、ブラームスは創作意欲を取り戻し、いわゆる〈晩年〉の創作期に突入します。「当地のミュールフェルト以上に、美しくクラリネットを吹く人間はいません」「貴女も満足することでしょう…ただ私の音楽が邪魔にならないよう祈るだけです」とクララに感動を伝えています。
 ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトにとってのアントン・シュタートラー、カール・マリア・フォン・ウェーバーにとってのヨーゼフ・ベルマン、そしてブラームスにとってのミュールフェルトを想う時、クラリネットは霊感を具えた楽器と言えるかもしれません。いずれにせよ、ブラームスが《クラリネット三重奏曲》(Op.114)と《クラリネット五重奏曲》(Op.115)、そして2曲の《クラリネットソナタ》(Op.120)を書き残し、堅牢なソナタ形式に立脚しながらもブラームス独自の諦念に満ちた抒情性を織り込んでいくことで、古典音楽の総決算としたのです。
 世紀末が近づくにつれ、ウィーンを首都とするハプスブルク帝国は斜陽に向かい、名声を得ようとする才能は勃興するベルリンに群がり、新時代の建設に邁進しました。ウィーンのブラームスはすでに獅子奮迅の時期を脱し、クララの弟子たちが証言するように静かな日々を送っていました。
 楽曲もまた然り、ブラームスの音楽ではゆっくりと時間が進みます。この時間はメトロノームの速度とは関係がなく、心のひだを通る速さのことです。重い口を開いて、いくつかの言葉を漏らすのと同じように、彼の音楽は心の速度を取るようになります。それゆえ、どれほど喜びに満ちた瞬間でも彼の音楽は翳を伴って、北方の暗く長い冬を目前にした秋の奥深さを感じさせるのです。
 本公演ではタラス・デムチシン氏のクラリネットがブラームスその人となります。かつて彼の独奏でシューマンの《幻想小品集》を共演した後、彼の指揮でシューマンの《ピアノ協奏曲》を演奏したことがあり、その演奏はブラームスの標語でもある「自由に、しかし楽しく」(Frei aber Froh)を体現したものでした。これは真に孤独を知る人のみが達し得る音楽で、私はその日以来、彼のことをひとたびも忘れることはありませんでした。今日は彼の奏でる晩節のアリエッタに和音を添えて、音楽を響かせることができれば幸いです。

※〈中津にかける音楽の虹 赤松林太郎レクチャーコンサートシリーズ〉第4回に寄せた文章です。

KIWANIS Club of Sapporo Benefit Concert 2019

2019年8月6日(札幌)


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CASIO Music Baton in Kitakami, Iwate

2019年8月5日(北上)


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 今日は北上市文化交流センター さくらホールで、CELVIANO Grand Hybrid を用いたトークコンサートに出演しました。Music Batonの担当は15回目になります。CASIOのアンバサダーとして、というよりも、何人も音楽を平等に楽しむことができるために活動したいという想いで、電子ピアノの普及にも取り組んでいます。
 グランドピアノと電子ピアノは全くの別物であり、電子ピアノはグランドピアノの代替品ではありません。そうは言っても、今日の音楽愛好家や学習者の大半を支えているのは電子ピアノですから、日進月歩で進化する電子ピアノとグランドピアノの架橋が早急に必要だと感じています。電子ピアノを弾いていたら下手になると公言する人は、案外ピアノ自体を上手に弾けていないものです。電子ピアノからも美しい音楽を紡ぎ出せる人は、鍵盤楽器の秘密をよく知っているからです。アコースティックのピアノに近づけようというメーカーの叡知と技術は、一方でピアノとは全く異なる効果や表現力を手にしており、私にとっては大変面白いものです。一企業の製品にとどまらず、電子ピアノの有効な活用法を提案していければ幸いです。

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Wine Club BeNiKo (Okamoto & Chez AKAMATSU)

2019年8月1日~2日(神戸)


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 〈腐れ縁の会〉×〈ワインクラブ紅子〉。初日2日は久しぶりに友(ほぼ仕事関係者)と過ごし、心ゆくまで堪能しました。いつも脱帽するしかない三田牛〈廻〉をお譲りくださるH氏には、生命を預かることの重みを教えていただいており、ありがたく頂戴しました。希少部位(マルシン)は女王のような威厳と優雅さを兼ね備えており、戻るべき五感の原点を再確認した思いです。肉の相を見て、語らい、静かに火が通っていく音を聞いているだけで、次なるアイデアが湧き上がってきます。

Best wishes for the summer season!

2019年8月1日(神戸)


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 自宅スタジオで商業用収録ができる環境が整い、数年越しの悲願がようやく叶いました。あとはアイデアを形にしていくのみです。今日は久しぶりに一日中ピアノに向かっており、身体が本来の自分のスタイルに戻り、楽になりました。大きなプロジェクトを支えてくださっているチームの皆に感謝。

動画で旅する音世界 | YouTube撰 (5)


名匠ユライ・ヘルツが《モーツァルト》(1991)を撮っていたとは! 3部構成になっており、第1部では父でもある名教師レオポルトの手ほどきとヴォルフガングの天才の開花が生み出す物語が写実的に描かれている。少ない台詞で淡々と進む分だけ、神童の天衣無縫が際立っていく。



ボビー・マクファーリンの魅力が眩しい。彼にはマンハッタン生まれだからこその都会的な洗練がある。ヨーヨー・マとの《ハッシュ・リトル・ベイビー》(1992)は大都会のるつぼが産み出した声で、罪のない喜びと希望に満ちている。こういうアメリカの顔ならいくらでも見たい。



サリエリを悩める芸術家に仕立て、モーツァルトに毒殺を企てる。史実はともかく、芸術と嫉妬を主題にしたプーシキンの戯曲によるリムスキー=コルサコフの小歌劇《モーツァルトとサリエリ》。後期ロマン派のテイストでモーツァルト作品の引用が随所で施されている。



ショパンのエチュードを移調練習する習慣はパリで身についているが、《革命》を半音上げて、かつ左手だけで弾くゴドフスキー編曲は常軌を逸している。半音階の使い方が後期ロマン派に共通する独特の方法で、ゴドフスキーならではの不協和音の進行が音楽の密度を高めている。



雄弁と寡黙。両者は正反対に見えるが、ミハイル・プレトニョフがウラディミール・ホロヴィッツの精神的継承者になることを予見する映像。ホロヴィッツはどの楽器を使ってもホロヴィッツの音になる。一方のプレトニョフはシゲルカワイを得てからピアニストの道に戻り、独自の進化を遂げていった。自分の声を見つけたのだろう。



波乱万丈の生涯を送ったドゥシークはマリー・アントワネットと縁が深かったにも関わらず、タレーランのおかげでパリ帰還を果たし、〈パリへの帰還〉と題されたピアノソナタでアントワネットの亡霊を登場させた。ソナチネの作曲家という認識で終わるには余りある才能と人生。



エリーザベト・シュヴァルツコップの《音楽に寄せて》は至福。イディル・ビレットにリスト編曲のシューベルト歌曲を聴いてもらった際、男声だけでなく女声の演奏もよく聴くように言われた。その時シュヴァルツコップについて熱く語っておられたが、今まさに同じ気持ちでいる!


※twitter(@officelaparade)でのツイートから転載・一部加筆したものです。

Piano Course at SGCM

2019年7月27日(川崎)


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 台風6号は首都圏直撃を避けましたが、水蒸気を限界まで含んだ暑さは半端なく、どれだけ部屋を冷やしてもピアノの音は曇ったまま。ヨーロッパの学生に比べて、日本の子どもたちが一音ずつ鍵盤の底まで押しつけるように打鍵してしまうのは無理からぬこと。ヨーロッパで音を磨いたことがある学生であれば、レッスンの中で指先の感覚の記憶を呼び起こしてあげられますが、そうでない子への指導はこの時期過酷をきわめます。
 響かないピアノではどうしても余計な力が入ってしまい、手から腕全体に乳酸がたまり、小指が悲鳴をあげる頃には強い絶望感に襲われます。そういうピアノの前では無理やり鳴らそうとするのではなく、音響の豊かなホールで美しい音を奏でる時のタッチ感をイメージして、耳元だけでも立体的な響きのドームを作ることを旨としてほしいと思います。
 今日は朝から大学にこもりました。前期の実技試験は終わっていますが、私のクラスではコンクールを抱えている学生が多く、半期15回のレッスンではとても間に合わないため、日程が許すかぎり補講を重ねているのが実状です。努力がすぐに結果に結びつかない世界ですが、熱意溢れる学生に恵まれ、共に切磋琢磨できる環境に感謝。